関西学院高等部学友会(生徒会)

1998年度学友会報告

マスタリー第21号p269-280より)[カテゴリ:学友会報告]

蓋を開ければ、そこは戦場だった…

学友会会長 山本真一郎

 ちょうど一年間、私は学友会会長に晴れて当選したわけであるが、その当選した瞬間から、高等部という戦場でのバトルが繰り広げられたのであった。何故戦場なのか、おそらく高等部生であれば、言わなくても分かると思う。特に今年は、高等部の五〇周年を記念する年であったり、野球部が春の選抜に出場するなどで、普段の学友会活動にまして仕事が増え、最初から落ち着かない日々が続いた。
 しかし、私が言おうとしている戦争というのは、こういうことではない。高等部生の皆であれば、分かるであろうそれは紛れもなく「高等部における学校改革」である。一言に学校改革といっても、その数は計り知れない。生徒と教師間の問題から議題箱(生徒の意見箱)に入っている個人の意見まで、幅広くいわれる。
 当然ながら、学校改革をするには、高等部生が協力しなければ、何も始まらない。そこで今年度のスローガンを「皆で協力」とした。今年度の学友会の改革案はすべて、民主的にする―つまり生徒の意見を尊重する考え方に基づいて進められた。具体的にいえば、アッセンブリーの充実化・広報の充実化・生徒の教師に対するアンケートをはじめとして、さまざまなことに取り組んだ。
 ここで、学友会役員を紹介する。聞く者全員を震えさせてしまうほどのすばらしい歌唱力を持つ副会長の東海君、いつも辛口の発言をし、また手際よく物事をこなしたビジュアル系の会計溝畑君、ゴルフ部の部長を務めつつも陶芸やテニスもこなした同じく会計の野口君、とても優しく、真面目で人一倍優れた行動力を持ち、また写真部の部長を務めていた書記の萬代君、元陸上部だけあって、人一倍優れた持久力と、思考力と行動力をもつ有能な同じく書記の村田君。彼らは本当にすごい。私と彼ら五人が今年度の学友会を主に担った六人である。
 この私たちが取り組んできたことは、全て高等部生全員が絶対に参加することか、絶対に目を通すものであった。だから、最初のうちは浸透しにくかったことも、のちのちには私たちの目的、そして活動状況が伝わったはずである。しかし高等部生九一六人いれば、いくら私たちが試行錯誤して頑張ったからといって、全員が納得してくれるとは、まず思わない。というか絶対にあり得ない。
 すっかり、高等部に根づいてしまった口ぐせ「キシー」は、今年度も一部の生徒により引き起こされた。高等部生の人には言うまでもないが、この「キシー」という言葉は、主にアッセンブリー中に発声される。無論、以前は「シー」だったが…。この言葉は、多くの壇上で話す者に対して投げかけられ、その者たちを精神的につぶしてしまう最悪の言葉である。
 何故、このような言葉を平気で発することができるのか。このような間接的な手段で他者を非難・侮辱するよりも、まだ、直接文句をいうか、殴り合いのけんかをする方が何百倍もましである。要するに、そのような言葉を発する人達は、相手に自分の意見を直接言う勇気が無い、弱い者たちだと思う。だから以前私も、この「キシー」という言葉を投げかけられたことがあったが、その時、もう腹を立てることは無かった。むしろ、哀れみを覚えた。それと同時に、「私は何故このような生徒のために、努力しているのか」というなんとも言えない脱力感を味わったことを今でも覚えている。
 「しかし、そんなことを考えていてはいけないのだ!」と思ったのは、こういう一部の人を除く多くの友達からのアドバイス・励ましがあったからだ。そして誰よりも長い時間共に活動してきた役員のメンバー、そして総部長、委員長、総務局のメンバーは行動で示してくれた。
 これらの苦難を克服した私たちは、計り知れない努力を苦ともせず頑張り通した。3E桐野君、同じく3E上田君そして、四〇代後半にさしかかろうとしているにも拘わらず余力を全て使い果たしてくれた3A川中氏を筆頭とする一〇〇人を超える文化祭メンバーと共に、文化祭運営を実施し、高等部生全員の努力が実ったすばらしい文化祭ができた。
 そして、最後の学友会活動である「学校改革第一弾−授業について」を実施すべく、小村部長、崎副部長と長時間にわたる討議をして承諾を得た後すぐに、取りかかった。この革命的改革の具体的なことは「学校改革について」でまた見てほしい。
 今ここに書いたことは、ほんの一部の出来事にすぎない。これ以外にも書き切れないほど多くの貴重な体験をした。最後に、本当に今まで共に喜び、時には悲しみを分かち合ってきてくれた多くの友人、そして先生方に感謝をしたい。これからの高等部のますますの発展に心を寄せて…。

会計を終えて

会計 野口 晃平

 私が、会計になった理由は、会長の山本君から会計にならないかという誘いがあったからである。それまで私は、委員を進んでするタイプではなく、一年の一学期に一回だけコミティーをしただけで、あまりパッとはしない生徒だった。しかし、私はその誘いにのってしまったのだ。委員をあまりしない私が、会計という大役をしようと突き動かしたのが
「自分の視野を広げたい」という思いからである。私は、自分の時間を自分のためだけにしか使わないし、自分と関係ないことは無視するといういたって利己主義な考えの持ち主だったから、「これではだめだ。」と思い、自分を変えようというのが視野を広げるという思いにつながっていたのだ。
 このような思いで会計になったが、活動してみると、私が嫌いな会議ばかりだった。この会議は非常につらかった。まず時間が長い。その次に、内容が煮つまらない。すぐ雑談になる。最後になると、だれか一人の意見に賛同してしまう。このような会議だった。私は、学友会会計をしているのと同時に、ゴルフ部のキャプテンをしていました。キャプテンとして練習に出ないといけないのに、会議に出ている時は、さすがに会計をしたことを失敗したかなぁと思った。ゴルフと会計との両立が私にとって最大の重荷だった。しかし、今年の学友会メンバーは、私のこの状況をよく理解してくれたことが幸いであった。この苦労は、任期が終わるまでずっと続いた。私の苦労ばかり書き綴っていたら、今後会計になる人がいなくなるので、次によかったことを書こうと思う。
 私が、学友会活動で得たもので私の視野を広げてくれたのが、私のまわりにいる学友会活動をしている奴らの、才能のすばらしさに気付けたことである。会議をすれば、必ず説得力のある話をし、会議を自分のペースヘともっていく奴。会議の内容を綿密に記録することが上手な奴。司会がうまい奴。もの知りで大人みたいな考え方ができる奴。機械類の修理がうまい奴。挙げてみるときりがないほどすごい奴が多かった。いろんな人間の良い点を見ることができたことが私にとって非常にプラスとなっていることは確かである。
 会計としての感想なのに全く会計の話が出てこないのは、はっきり言って会計の仕事をすべて溝畑君にまかせっきりにしてきたからであろう。文化祭で金券を売ったことくらいしか会計としての仕事はしていない。しかし、私は役員としての仕事はしました。役員としての仕事は、アッセンブリーの制作や総会の準備、文化祭関係の準備などで、大半は会議です。地味な仕事で、前に挙げたとおり、会議嫌いな私にとってはつらい仕事だったが、得たものは大きかったと思う。山本君の会計の誘いが私にとっては非常によかったことだと私は思っている。

学友会会計

会計 溝畑 幸伸

 去年の二月頃、僕は会計になることが決まった。僕は、中学部でも生徒会役員をしていて、結構仕事は楽だったので、高等部学友会も楽だろうと、甘い考えをもっていた。しかし、前任の西室さんと鈴木さんから仕事の内容をうかがったら、全く意味が分からなかった。今年は、もう一人の会計の野口が運動部に所属していたので、僕が一般会計の仕事をすることになってしまった。
 とりあえず、会計の主な仕事について記すことにしよう。
 第一に、今年度の学友会予算の決定、前年度の学友会決算の報告をした。この仕事が最初の会計としての仕事だったので、必死に試行錯誤した結果、きちんとした予算を組めたと思う。
 第二に、クラブ活動補助費の支給をした。これは、近畿大会以上の大会に出場したクラブに支払われた。これは、楽な仕事だった。
 第三に、文化祭関係の仕事があった。最初に文化祭の予算の配分を考、え、文化祭の会計や補助金に関するプリントをつくったりした。何度も内容を変更したため、これにかなりの時間を費やしてしまった。そうこうしているうちに、文化祭週間に突入した。文化祭週間に突入してからは、毎日七時すぎまで学枚で作業をしていた。この間にやった仕事は、ここに書き切れないほどに多いので、省略させてもらう。そしていよいよ文化祭当日、どこにも行けず、とても疲れた。文化祭が終われば、会計以外のスタッフは仕事がなくなるが会計は決算をしなければならず、その仕事が一月末まで続いた。
 そして、来年の会計を引き継いでくれる人へ。とりあえず、予算は早めに決めること。しんどくて、面倒臭い仕事だったけれど、仕事を終えた後の充実感はあったと思う。 最後に、色々と助言して下さった後藤先生、福嶋先生にこの場を借りて、お礼を述べたいと思う。また、色々と手伝ってくれた学友会役員文化祭執行委員のみんな、ありがとう。どうも、一年間お疲れ様でした。

一年間を振り返って

書記 村田 昌平

 一年間書記をやってみて、思ったより大変だった。実際のところ書記とはいいながら、書記の仕事より他の仕事をたくきんしていたような気がしました。いろいろやりたいことがあったのですが、できないこともたくさんありました。
 一年間でした仕事の中で一番大きな仕事は、選挙管理委員でした。今年はリコール問題もおこり大変だったし、次期会長・副会長選挙でも三人ずつの候補が出て、決選投票になったりと、いろいろなことがありました。また広報の仕事の手伝いや、印刷、コピーなどの学友会の雑用係みたいな動きをしていました。
 最初、書記を軽い気持ちでやろうと引き受けました。しかしやっていくたびに、少しずつ真剣になって、最後には思いきり仕事にとりくんでいました。始まったばかりの時はあまりいそがしくなく、気が楽だったのですが、時がたつにつれていそがしくなり、本気になっていました。総会前には夜の十時頃まで残ってやっていました。文化祭の時も、ほぼ毎日八時頃まで残って活動していました。いろいろあったけど、この一年間は楽しく、充実したものだったと思います。

書記 萬代 書幸

 平成十年度つまり我々が3年生だった年は高等部やその多くの人にとって記念になる年だったかも知れません。春の甲子園出場や新制高等部五十周年関連の特別な行事もあり、私も学友会役員として考えていた以上に実の詰まった一年を送りました。今になってやっと一年を振り返ってみて内心ほっとします。
 その一年分の経験の中には正直なところ辛いと感じることも少なくありませんでした。毎日続いた議論の応酬も、総会などの行事の奥深さも、自分たちの活動を理解してもらえないもどかしさも、何もかも初めてのことに戸惑いを感じたのは私だけではなかったかも知れません。次々と迫り来る行事と難題にぶち当たり、この役に就いたことを悔いたこともあったでしょう。
 こうして振り返ると必ず一つの問いが浮かんできます。それは自分はこの一年、役員として何をすることができたか、という自身への問いです。とかく目に見える結果が求められることが多かった気がしますが、その中で求めることに応え、自分たちなりの目標に到達できたかどうかは不安です。しかし先の問いの答えが見つからないわけではありません。
 今年会長の山本君が掲げたテーマに、皆で協力というものがあります。私一人で学校のために、全校生のためにできたことは皆無に等しいかもしれません。しかし他の役員や各担当の人、顧問の福嶋先生らと協力してできたことは、きっとたくさんあると思います。どんな行事一つにも、知られることはないでしょうがかなり長い時を費やして議論がつづけられました。もし失敗があればその原因も探り出して次はどうするべきか、今最も必要な活動は何か、と考えふと立ち止まった時にそれをここまで乗り越えてこられたのは、周りの人にいつも支えられていたからに他ならないと思います。また私は高等部の枠を超えてそのつながりを持つ機会にも恵まれました。あるきっかけでボランティアに関わるようになり、大学構内にある関西学院の組織ヒューマンサービスセンターや、お隣県立西宮高校の方にも大変お世話になり、感謝しています。
こうして大切な経験を手にして任期を終えることができたことはそれだけで一つの私の財産であり、誇りです。
 これからもずっと役員会は高等部の中心となる生徒の、さらに中心的存在として続いていくことでしょう。その際に必要なものは、中心を担っていくことへの自信であることも学びとりました。こんな私が偉そうな事を言うつもりはありませんが、自信があれば意外なこともできるものです。初めての経験も多いと思いますが、それは誰でも同じです。役員二年目という人はまずいませんから、遠慮なく突き進んでいけばいいと思います。
 以上、稚拙なこの文章が、私がこの高等部で学友会書記を担当した証になれば幸いです。

風穴を開けること

企画部部長 川中 大輔

 皆さんは企画部の存在を知っておられただろうか。恐らく殆どの人は知らなかったであろう。企画という仕事上、当然人前に出ることはないのであるから、知らなくて当たり前である。しかし、存在自体が知られていない我々企画部の活動は皆さんの想像を造かに越える精力的なものであった。その活動の所産の一部を皆さんに報告したいと思う。
 例年の企画部の仕事は新入生歓迎アッセンブリーの企画だけであったのだが、我々が就任した時は六月のことであったので、勿論それは既に終わっており、何をすべきか迷ったものであった。そこで、第一回会議に於いて、我々は「今の高等部に欠けている視点、即ち普通の生徒からの視点に立った企画を練る」という基本原則を採択した。この原則と役員会の意向に沿って、企画部の一年間の活動の目安となった活動方針が策定された。
 その企画部活動方針は(1)学友会が身近になる為の企画(高等部自治の発展)、(2)高等部生が求める企画、(3)愛校精神に基づいた高等部の為の企画、(4)生徒・教師・保護者の三者の相互理解、信頼できる為の企画(学校共同体構想)、(5)生徒継承の自治の為の企画、というものである。
 企画部は以上の方針のもと、幾十に渡る企画・提言を役員会に提出した。我々は与えられた企画立案という重責を大いに全うしたと、この点に於いて言えると思う。
 また、他にも企画部は総務局の一部署として、企画立案業務以外の仕事も幾つか行ったのであるが、どれも思い出に残るものばかりであった。この様に、企画部は今回与えられた分量では到底書き尽くすのが無理な位、様々な企画を練り、行動を起こしたのであった。
 その一連の職務の中で、我々が常に心掛けたことは、とにかく新しいことを何かしようということであった。この思いが結果となった例は学校説明会生徒参加企画が実行へと繋がったというものである。学校説明会に生徒が出て、何の制約もない状態で質問を受け付けるということは極めて画期的なことであった。我々は一つ、風穴を開けたのである。
 誰かが風穴を開けなければ、何も物事は動かないのである。風穴が必要だと感じた者は行動しなければならない。それは各々が属する社会に対する義務である。企画部は責任を持って、関西学院高等部学友会に風穴を開ける役割を持つべきである。風穴を開けること、それは企画部の職責である。私はその様に考える。これから企画部を担う方には伝統に捕らわれないチャレンジを果敢に試みてもらいたい。我々は大きな期待を持って、今後の企画部と学友会、そして関西学院高等部の行方を見守っていくつもりである。
 最後に副部長の安藤真也君、部員の角野浩史君、大山直樹君、三浦力君、水田裕隆君に、企画部メンバーとして共に歩んでくれたことを深謝する。世界は君達を待っている。

学友会管理部部長 八木 米史

 管理部の仕事は、図書館及び食堂の管理、生徒の自主的な啓発活動を主とするものである。今年度は主に前記の図書館及び食堂の管理のみの活動となった。盗難等の啓発活動については部員が少なく、全体的にこじんまりとした活動だったために手をつけられずじまいであった。
 このような状況の中で、私は管理部の存在意義に疑問を感じる。仕事量的には非常に少なく、小さい。盗難などの問題にとりくむには、小さすぎるのである。もし、今年度だけの活動内容であれば、他の部署と併合すべきである。総務局の中で一つの部署として独立するほどではないということである。また、盗難などの問題に取り組むのであれば、管理部のもっと具体的なやるべき範囲をきっちりとさだめて活動すべきである。
 これらのことは、私の反省であり、今年度私ができなかったことである。是非、次期の学友会役員の方々にお願いしたい。管理部の見直しと、より活発な活動を!
 最後になりましたが、今まで私たちの活動を支えてくださった図書館の方々、ありがとうございました。

広報部(学友会通信) 高嶋 伸弥

 今年度の広報部(学友会通信担当)は、部員3名という少人数ながら、各自が自分の持つ能力を生かして活動したといえます。1年生部員の活躍の場が少なかったのは残念ですが、来年以降は広報部を背負って立って欲しいと思います。
 広報部(学友会通信担当)の具体的な活動としては、その名のとおり学友会通信の発行・文化祭の時期に文化祭通信の発行・アッセンブリ一通信の発行などが挙げられます。例年の広報部に比べると活動内容が限られているかもしれませんが、人数のことやその他諸々の要素を考えると、よく頑張ったのではないかと思います。学友会通信が全校生徒に読まれていたとはとても思えませんが、一部の生徒の熱烈な支持に支えられて1年間無事に発行できたことは、僕らの自信にもなりました。この場を借りてお礼を言いたいと思います。発行当初は部長の独断で、学友会通信の名前を「関学エイト」(わかる人にはわかる)にしようとか、学友会通信を年間50号発行しょうとか、そういう野望もありましたが、結局実現することはできませんでした。特に学友会通信の名称が最後まで決まらなかったことは、今さらながら後悔しています。生徒から公募すればよかったと思います。このように反省点も数多くありますが、「継続は力なり」という言葉があるように、発行し続けることに意義があるのです。
 一方、文化祭通信の方は発行回数こそ少ないものの、内容としては満足いくものができたと思います。文化祭5日制or3日制の教師会vs生徒会の闘争をまとめたプリントや、各サークルの紹介など、「文化祭」の仕組みを容易に理解してもらえるものに仕上がったと自負しています。今年の文化祭は執行委員長をはじめとしたスタッフの努力もあって、大いに盛り上がったといえますが、広報部も少しは役に立てたと思います。いや、そう思い
たいです。
 広報部という仕事は、みなさんが想像している以上に大変な仕事です。「どうせプリントつくって刷るだけやんか」と思っておられる方、大勢いらっしゃると思いますが、実際は結構しんどいものです。何故なら広報部は生徒会と全校生徒を「紙面」でつなぐ唯一のパイプであり、責任重大な仕事だからです。原稿をつくり、それを推敲し、パソコンで打ち直して印刷する。この作業は思った以上に大変でした。でも同時に、自分で原稿をつくり上げていく楽しさも感じました。これが広報の醍醐味だと思います。
 広報部は目立った活動をしたとはいえませんが、牘錣硫爾領六ち″に徹したことは事実です。会長や各部署の代表者の意志を紙面にして皆に伝える、これが広報部の最大であり唯一の役割だと思います。来年以降の広報部役員も、それを十分承知した上で、精一杯頑張って欲しいと思います。

広報部(クラブ報告) 田中 章雅

 我々、クラブ報告委員の活動は、一月末の「野球部、春の選抜出場決定」と共に始まった。一月末に行われた、出場決定セレモニーの準備、さらにこれを生徒に知らせたクラブ通信第二号が、我々の最初の仕事であった。そして、我々に課せられた次の仕事こそ春の選抜、関学高等部野球部の第一試合、対高鍋高校戦を報じる、クラブ通信第二号であった。そして、この第二号で我々はさらに広大な企画に挑戦することとなった。クラブ通信第一号は、高等部全生徒向けということで印刷部数は約九五〇部であった。しかし、この第二号は、関学野球部試合の当日、甲子園球場のスタンドで配るということが決定した。ここで、二つの問題が発生した。まず、スタンドで高等部の生徒以外の、観戟に釆て下さった一般の観客にも配るということで、莫大な枚数を印刷しなければならないということ。そして、もう一つの問題、それはその莫大な数のクラブ通信第二号をいかにして、広いスタンド全体に配るかということである。
 結局、第一の問題に関しては、三〇〇〇枚以上という前代未聞の印刷を、我々クラブ報告委員で行った。これには、本当に多大な時間を要した。さらに、第二の問題に関しては、我々クラブ報告委員全員と、学友会執行部の協力により、人海戟術により何とか、アルプススタンド全員の観客に配布することができた。また、心配していた試合後、ゴミになるのではないかという不安も、まさにとりこし苦労に終わった。本当に多くのお客さんに、我々のクラブ通信第二号が、喜ばれたことを本当にうれしく思っている。
 こうして、始まった我々クラブ報告委員の仕事は、この後、総体、関々戦を経て文化祭で終わりを迎える。文化祭で我々は「校外広報」の任につき、主にプログラムづくりと、各駅へのポスター配布、及び近隣校へのプログラム郵送を行った。プログラムづくりに関しては、今年は順調に進み、例年よりプログラムが捨てられるということがなかったという評を、先生から頂いた。また、駅へのポスター配布については、本当に多くの文化祭執行委員の協力を得て、きついスケジュールにも拘らず、多くの駅にポスターを配布、貼り付けることができた。これには、阪急電鉄各駅の駅員さんに本当に感謝したい。
 このように、今年一年、本当に多くの人の協力のもと、無事に活動を終了することができた。特に、多くのアンケート・調査を実施した、各クラブの主将にも、本当に感謝したい。
 また、来年も、新たなるクラブ報告委員が今年を上回る活動と、大きな成功をおさめることを期待している。

エンターテイメント部 藤田 和志

 一九九八年初春に、副会長の東海から一本の電話が入った。「皆の意見でジャイ(俺)にエンターテイメント部引きついでっていうことやねんけどやってくれんか?」「マジで?俺が?」と言いつつも、結構やる気はあった。当時俺は、礼拝委員長をやっていたから、犁Г譴觀歐諭蹐箸靴謄妊咼紂爾垢襪海箸鮃汁曚靴討い拭そして、東海と話し合い、平野と森をつけ加え、新エンターテイメント部として活動することになった。気がつくと、部長になっていた。俺ら三人は希望にみちあふれていた。しかし、現実は甘くなかった。
 そして、初舞台がやってきた。引きつぎ式である。昨年の三人の中村・三井・梅田さんらから、「ボケましょう」のお題がでた。まず、そこで平野がへコんだ。舞台終了後、平野は自分のセンスの無さと、千人の生徒のプレッシャーにたえられず、トイレで泣きながら、吐いていた。当然の如く、森と俺も、もらい吐きした。平野は、それ以来部に顔を出さなかった。
 第二回目の公演がおこなわれた。森と俺の二人で、アッセンブリーで五分程やった。全くウケなかった。場内は「キシー!キシー」のパレードだった。俺と森は、かなりへコんだ。しかし、ここでやめるわけにはいかなかった。いつか大爆笑をとってやろうと思っていた。
 そして、次の公演のために反省した。反省した結果、間がわるいと結論がでた。俺らは、ビデオ合衆国で、ダウンタウンのビデオクリップと美里真理やハイレグキャンペーンガールなどの企画ものを八本ずつ借りて徹夜で、間のとりかたを学んだ。その結果、森と俺は合計で十二回昇天した。二人の様子を、中学部の教師の武久とミス・ジョンソンはみていた。次の日、ゲッソリとやせ細った俺らはネタを考えて公演に臨んだ。全くウケなかった。森は今度こそ真剣にへコんだ。そして、トイレで泣きながら吐いていた。それ以来、森は部にこなかった
 一人になった俺は、礼拝委員長の仕事をしながら、その時に小ネタを入れたりして、地味に活動した。一人で落語やネタをやるセンスはなかった。しかし、やはり最後は、キッチリと部を終わらせたかった。その時に文化祭の中庭のメンバー達(宮崎、小坂、伊戸さん、島田、祝、蔵本、西尾、平井)らが、手伝ってあげると言ってきてくれた。そして、最後のアッセンブリーで最後の公演をやることにした。ネタの中身は、教師(梅原、崎、津、清水、柴山、喜代志)ネタだった。予想通り、場内は大爆笑だった。ネタを考えてくれた彼らに感謝した。最後に笑いがとれてよかったと思う。とりあえず、エンターテイメント部を来年以降も引きついで欲しいと思う。

美化委員会 谷脇 良貴

 今年の美化委員会は、僕の知る限り今までで最も忙しかったと思う。これは別に今までの美化委員会を軽んじて言っているわけでは全くないが、去年は月一回だった美化委員会が週一回になったこともあるほど忙しかった。
 それは今年、ゴミを捨てる方法が変わったことが最も大きく関係している。
 近年、爛瀬ぅキシン″や犂超ホルモン″という言葉が流行語になるほどよく聞かれる。ダイオキシンとは環境ホルモンの一種であり、主にプラスチックなどを低温で焼却すると発生する(詳しくは前年度のマスタリーの『環境問題について』を参照してほしい) のだが、高等部が使用している焼却炉はまさにこの条件に当てはまっていたのである。
 そのため、少しでもそれらの有害物質の発生を抑えるため、臨時的にゴミの分別・処方法を次のように変更したのである。

〆まで燃えるゴミ、燃えないゴミの二種類だった分別を、燃やすゴミ(紙類など)、燃やさないゴミ(プラスチック類など)、燃えないゴミの三種類にした。
燃やすゴミに分けられたものだけ学校で焼却し、燃やすと有害なゴミは高温で焼却できる業者に処理してもらうようになった。

 この変更のため、ゴミ箱を新しく購入したり、ゴミ袋の支給方法、捨てる場所などが変わったりした。変更に継ぐ変更のために美化委員を中心に混乱を招いたこともままあった。
 この多忙さは一学期中続いたため、当初の予定にかなりの遅れが出てしまい、実施できなかったこともある。その一つが割り箸リサイクルである。これは二年前に始まったものだが、今年は初めに「やる」とは言ったものの忘れられていくような形で実現できなかった。掃除の見回りも、始まった当初は順調だったのだが、僕のややこしい説明と注文のためか、途中から今どのクラスが担当しているのか把握できなくなったりして自然消滅してしまった。「大事の前の小事」にしたくなかったのだが、これらは僕の力が及ばなかったせいであると反省している。
 こういった一年であったためか、今の僕はやり遂げたことへの充実感と、できなかったことへの悔しさの両方を感じている。
 思えば、中学時代に美化委員長選挙で落選して、「高校では必ずなってやるぞ」と意気込んだのももう四年も前のことだ。実際なって、本当にやりたかったことができたかというと疑問はあるが、忙しかったことが何より今年の美化委員会の活動の証であることは誇れることだと思う。
 最後に、いつも美化委員会のために苦労を惜しまず(僕よりも)忙しく動いてくださった津先生、いろいろとアドバイスや手助けをしてくださった後藤先生や塚本先生、僕と一緒に頑張ってくれた副委員長の二上君、そして何より僕の何度もの召集にも低い欠席率で参加してくれ、わがままや無理な注文もてきばきこなしてくれた美化委員全員に感謝してやみません。
 美化委員会、本当にお疲れ様でした。

礼拝委員

礼拝委員長 藤田 和志

 今年の礼拝委員食は、\蚕顱讃美歌の持ち込みの呼びかけ、∪古摸蘿劼僚室臓△瞭鵑弔量槁犬鮑本において活動してきました。この二つの目標に取り組むことによって、礼拝への関心を高め、積極的参加を心がけられるようにしました。
 聖書・讃美歌の持ち込みに関しては、各クラスの礼拝委員に終礼などを通して、呼びかけてもらいました。しかし、実際の所、それを実行する生徒はあまりおらず、来年の礼拝委員会では、何かやり方を変えて行ってほしいと思います。生徒礼拝の充実という目標は、一、二年生は、二・三学期に各一回ずつで、三年生は、各学期に二回ずつを予定し、出来るだけ生徒礼拝を多くやってみようと考えました。実際、どの学年も予定通りに礼拝がもてました。この生徒礼拝に関しては、普段教師の話をきいている生徒にとって、生徒礼拝は、生徒の話をきけるので三学年共、反応が良かったです。来年以降は、もう少し数を増やして、学年礼拝だけでなく、全校礼拝も是非生徒だけで企画してみて下さい。
 その他にも礼拝委員会は、これらの普段の活動以外にも、献金の当番、献血活動(文化祭週間中)、ゴスペルコンサートの手伝いも行ってきました。特に、献血活動は、礼拝委員が中心となって行う毎年恒例の行事でもあるため、一丸となって取り組むことができました。その他の行事も無事成功することができたと思います。
 一年を振り返って、礼拝委員として、皆よくやってくれたと思います。この一年間自分的にもリーダーシップをとる難しさややりとげる充実感を学び、よい経験になりました。今年の活動が、来年以降の委員会に、少しでも良い形で受け継げられれば幸いです。来年以降は、改善すべき点を直して、良い所を伸ばして、いろんな事にチャレンジして欲しいです。最後に、奥村先生、石橋先生、藤田先生、副礼拝委員長の安田君、そして各学年の礼拝委員の皆、ありがとうございました。

関関戦をふり返って

運動総部長 若崎 年康

 今年で第二一回目を迎えた伝統ある関々戦。去年第二〇回という節目を迎え、特例の二日間開催を成しとげ大成功をおさめているだけに今年はかなりプレッシャーがかかっていた。また更に今年は関学高が主催校だったことや関大が今年から男女共学になったことなど、たくさんの問題がありとても大変だった。
 今年は、学友会が「みんなで協力」という年間目標を打ち立てていたので運動総部もそれにならい、みんなの意見を参考にするために、開催形態について全校生徒にアンケートをとった。やはり去年大成功だったせいか、二日間開催の支持が一番多かった。しかし、去年は第二〇回という記念として特例で二日間開催が認められたそうで、いくらねばっても教師会から今年は無理と言われ、結局一日開催ということになった。メイン競技をみんなで観戦する形態が好評だったので今年もそれを採用することになった。他の競技は今年の特色としてなるべく同じ日にまとまって関学で行うようにした。それにより、応援、観戦する人が多くの競技を見ることができるようにした。今年のメイン競技は、これもみんなにアンケートをとった結果、サッカーに決定した。大まかな内容が決まった後は、Tシャツのデザインや当日の開会式、閉会式の運営方法、デモンストレーションの内容、パンフレットの作成など細かな内容をにつめていった。パンフレットについては、去年はメイン競技の選手しか名前がのってなかったので、今年は観戦する人がわかりやすいように、全競技の選手名鑑も作った。
 そして、いよいよ、当日、雨よけのない競技場だったので雨だけが心配だったが、快晴にめぐまれ、ひと安心だった。メイン競技のサッカーにおいても両校府県下有数のチームで白熱したゲーム展開がくり広げられた。結果は関学高が勝ったが、メイン競技らしい好ゲームだった。閉会式も無事だんどりよく終わり全体的にスムーズに全行程を終えることができた。
 全体的に今年の関々戦をふり返って多くの反省点もあるが、納得のいく大成功の関々戦だったと思う。大成功で終えることができたのも、相手校である関大一高の協力、先生方の協力はもちろん、各クラブのキャプテン、マネージャーを中心とした運動総部の協力があったからだと思う。本当にありがとうございました。
 関々戦。関大一高、関学高の年に一度しかない交流であるこの伝統を大切にし、これからもこの関々戦を通して両校の関係が深まっていくことを期待しています。

98年度学友会に寄せて

学友会顧問 福嶋 眞二

 今年は学友会顧問として1年目で、私自身が勉強させられることが多くありました。
 まだ、年度の変わっていない3月のスキー旅行で、山本会長を始め、学友会役員と各委員会が集まり、1年間の学友会目標や、文化祭のことについて話し合っていたことを思い出します。
 98年度学友会が4月早々に取り組んだ課題は、「文化祭期間を3日間に縮小」でした。4月21日のアッセンブリーで発表され、これをどのような方法で5日間開催に戻せるのか。今思えば、今年の学友会文化祭執行部はこの大きな課題を解決できるだけの力を持っていたことに気づかされます。文化祭執行部は桐野君、上田君を中心に早速、その対策としてサークルの審査の仕方や、新たなサークルの募集方法について検討し、案をまとめると同時に、学友会総会の議題とし全校生徒の総意として5日間開催を教師側に要求しました。その結果、教師会でも議論が交わされ、今年は、5日間が認められました。
 今年の学友会は、昨年の世界一の学校づくりを引き継ぎながら、「みんなで協力」を年間目標に掲げてスタートしました。1年間を振り返ってみると、この目標は、文化祭によって達成されたように思います。
 高等部にはいろんな行事がありますが、4月に行なわれる子ども会は、代表的な行事です。当日、浅野君をはじめ、神戸女学院の生徒と共に母子寮から来た子供たちの面倒を見る多くのスタッフの姿がありました。関学は全校生徒と教師の献金だけでこの行事を支えています。こうした行事はボランティアで支えられているのです。本当にすばらしい行事だと思います。
 今年もまた多くの生徒がボランティア活動に参加しました。春の長募金活動や、夏の障害者甲子園、秋の甲東デイサービスへの訪問です。自分の時間や労力を楽しみながら他人の為に役立てることができる生徒が多くいることは高等部の特徴であると思います。
 6月の学友会総会により、文化祭期間の短縮を食い止めることができました。これは、総会の議決が全校生徒の総意だと受け止められたからです。この総会の議題絞りや運営については、総合担当の野口君、クラス委員長の小野君が本当によく努力していたと思います。
 7月と9月には運動総部による、KGスポーツ大会と関関戦が行なわれました。こうした行事は運動部同士の横の繋がりを強くすると同時に運動部に属していない生徒の運動部への関心を強める効果があります。若崎総部長のもとサッカーをメイン種目にした関関戦は21回を迎え、今年は10勝4敗1分けで勝利しました。通算でも15勝6敗と大きな差がついてますが、今後も気を抜かず運営を行なってほしいと思います。
 11月には文化祭が行なわれました。今年のコンセプトである「相思相愛」には、「他者を理解し、認め、協力しあう」という意味が込められていました。個性を前面に出す文化祭から、学友会テーマである「みんなで協力」の「協力」のほうに重きを置いたことが今年の特徴だったと思います。コンセプト通り50人近い執行委員が集まり、校内ステージ、当日ステージ、展示、中庭、全てがエネルギッシュなものとなりました。今年は新制高等部50周年を迎えたこともあり、川中君を中心に記念展示が行なわれました。この50周年記念展のモニュメントは片岡君を中心に製作されましたが、現在、高等部の校舎北側に設置されています。
 こうした学友会行事がうまく運営されていくためには、日々の学友会の自治活動が大切です。それは毎週行なわれるアッセンブリーであり、各委員会であり、総部のCM会議であるのです。今年のアッセンブリーでスピーチが行なわれましたが、ある生徒が「高等部の自由と自治とは何だろう」と問いかけをしたことを覚えています。学友会員一人一人が思っていることが、学校全体の活動に繁栄できるシステムこそが、自治の基本だと思います。
 今年の学友会は10月に、授業についてのアンケートを行い教師に意見を求めました。これは、授業を批判するものでなく、教師と生徒の互いの理解を深めることが目的でした。お互いに授業で何を期待するのかをもっと理解し、より良い時間にしたというものでした。
 今年の学友会役員会は決して派手ではなかったですが、多くの仲間に恵まれ、その意見に耳を傾けたと思います。高等部をより良くしたいという気持ちが皆の気持ちを動かし、多くの協力者を集めたのだと思います。
 これから学友会を担う諸君にも「高等部が大切にしてるものはなにか」を常に意識し、先輩たちが築いたものを大切にしてほしいと思います。

  • [modify] 2007/05/23 18:26:49 by flon

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