1991年度 学友会報告

(マスタリー第14号p148-154より)

1991年度学友会役員

:顧問:芝川 又美  藤田 喜代志
:会長:奥村 眞介
:副会長:谷山 貴彦
:書記:吉田 勝紀
:書記補佐:星野 恭広
:会計:小西 潤一
:会計補佐:森本 嘉一
:外務担当:見市 建
:クラス委員長:久下 哲也
:アッセンブリー委員長:渡部 憲史
:アッセンブリー副委員長:小山 晋
:美化委員長:谷川 敦郎
:礼拝委員長:南 洋志
:クラブハウス管理委員長:高井 史
:学友会事務局長:川嶋 幹生
:総務部長:田所 吾朗
:保健局長:羽尾 健志
:マスタリー編集局長:岡村 眞介
:サービスリーダーズ部長:岡村 眞介
:放送部長:藤田 耕平
:宗教総部長:木本 公敏
:文化総部長:計盛 範啓
:運動総部長:東山 太志

年間報告

九一年度学友会の歩みは、三学期のスキー旅行中の話し合いに始まった。そこでは一年間の流れをつかむと同時に、今年度の学友会の方針を固めた。学友会役員と生徒とのコミュニケーションの必要性を感じ、学友会報の随時発行も決定した。
我々の当面の課題は、パンショップからの飲食物持込みに関する問題であった。教室美化に関するアンケートを取り具体的な案を考えた。そして、新学期より持込みが許可されるようになった。
春休み、新たに高等部生となる新一年の新入生オリエンテーションキャンプ (4月3〜4日)に同行した。皆様の協力で、良い成果が挙げられたように思う。
新学期にはいり各クラブ紹介(4月12・13日)、4月29日には子供会、そして6月には学友会として一番大きな課題である、定期総会(11日)を迎えた。
定期総会では、食券自動販売機の設置の要求・テスト休みについて・体育の授業の水着体操服の自由化要求・バイク自動車の免許取得について・タンクトップ短パンの許可・学友会別の改正の六項目について例年になく活発な議論がなされたが、あまり肯定的な回答は得られなかった。
七月の期末テストののち行なわれたKGスポーツ大会 (11〜13日)は、天気にも恵まれ三日間の競技を無事に終えることができた。夏休みに入り7月16〜19日に一年生の臨海校へ同行した。今年も悪天候のため残念ながら遠泳はできなかったが、一年生の親睦を深める良い機会になったと思う。
二学期に入り先ず関関戦(9月18日)が行なわれた。今年は台風にも悩まされる事な予定通り行なえたが、関大の気力に押され、5対10で敗退してしまった。11月4日には、恒例の文化祭が行なわれ、文化部の日頃の活動を披露し、又、各展示団体も頑張って大盛況に終った。
年間を通しての活動として、毎週のアッセンブリし役員会、二カ月に一度の私学交流会などがあった。
今年は、H・Rの活性化と、それにともなう各委員会活動の盛り上がりにより、年間を通じてのテンションは高かったと思います。
来年度の人も頑張って下さい。(吉田 勝妃・星野 恭広)

学友会会長

岡村 眞介

今年の学友会は、〝カウント制廃止〟及び〝パンショップからの品物持ち込み許可〟という報告から、その実質的な活動が始まった役員決定の時点で、今年は、役日月会とHRを一体化し、高等部の団結を計るという方針を固めていたが、これらの壁がなくなり、各行事、委員会活動の見直しを含め、役員会活動の視野はかなり広くなったと言える。
これらの目標を達する為に、何をやってきたかを挙げることは控えさせてもらう。一日一日が試行錯誤であり、それ故中途半端で消えてしまった策などがあったことをこの場で深くおわびすると共に、我々の築いた基礎を基に、全校生徒が関西学院高等部が見えるようにこれからの学友会役員がしっかりと頑張ってくれるよう、健闘を期待する。そして、今年の行事がすべて成功の内に終えることが出来たことを、すべての生徒に、そして役員に感謝したい。行事がうまくいくということが、日頃みんなが意見を出し合い、協力し合って準備した成果であるのは言うまでもないそれだけでも高等部の団結という公約は果たされたと言える。中でも総会は最高のものだったと思う。意見の一つ一つについての批判はかなりあるだろう。しかし彼等が一生懸命に900人の前で意見をし、あの迫力となったパワーは何事にも変えがたい宝だと思う。教師会のいいかげんな回答書については不満がかなりあることが先のアンケートでもわかるが、この事について役員としてもだまってはいない。この原稿を書いている時点ではまだわからないが、けじめをつけて任期を終えたいと思う。
僕の思いつきだらけのやり方につき合ってくれた役員のみなさんに、この場で「おつかれさん!ありがとう。」と言いたい。特にパートナーの谷山君。僕が言う前に行動するタイプだった為に、活動報告でも謙遜してるけど、君が思っている以上に僕は君に助けられていた事を知っておいて下さい。この学校で君は最高のパートナーでした。
この一年間、独裁的に映った人や「あの頭どうにかせい。」と思った人も多かったでしょう。しかし、こうして出たがりで夢想家の僕を温かく見守り、協力してくれたみんなの一人一人に感謝して終りたいと思います。

学友会副会長

谷山 貴彦

今年一年間学友会副会長をやっていて、自分でもつくづく仕事をしなかった副会長だと思った。業績報告といえば、春休みの新入生オリエンテーションキャンプ、一学期の学友会総会とKGスポーツ大会、二学期の関関戦と文化祭ソフトボールと一度しか行かなかった私学交流会(行っても何の役にもたっていない)と次期学友会選挙ぐらいである。どの行事も自分では中途半端であったと思う。こんな副会長のおかげで、会長の岡村君その他の学友会役員にもたくさんの迷惑をかけたと思う。この場をかりて、おわびしたいと思います。毎年副会長は遊んでばかりいて仕事をしないというのがみんなから見た印象ではないかと思う(昨年度副会長のTさんは特にそうだと思う)。これでは会長の補佐としての意味が全くないので、次期副会長には、この仕事をしない副会長というみんなからの印象をくつがえす様に、生徒会活動にはげんでほしいと願っている。
今年一年間、どうもありがとうございました。それと他の学友会役員のみなさん、一年間おつかれさまでした。
(三−DのIくん、三−EのWくん、それと最近幸せな三−BのKくん、あまり女にうつつをぬかさない様に、それと三−CのHくんあまり彼女をいじめない様に)

会計

会計の大きな仕事といえば、予算と決算であり、予算配分が済めば各総部に責任が移るので、僕が直接管理するのはそれ程多くないのであまり忙しくはなかった。今年から学友会費が値上がりしたので、なるべく各方面に満足できるように予算を組んだが、至らなかった点は了承願いたい。昨年度からの引き継ぎが遅かったため、予算編成の期間が短く、また、全然過去の資料がないため苦労したので (それに僕自身も忙しかったため)、今年は特別なことはせず合計の仕事をなるべく会則の規定にもどし、一会計年度を一二月で締める、各総部の決算を本部会計の方へ戻す、資料をきっちりと保管し引き継ぐ、ということを目標にして努力した。これを書いている時点ではまだ決算が終わっていないため、目標は達せずに終わったが、来年度の人に期待したい。
さて仕事の内容であるが、僕がフットボール部であるから忙しいため、お金の管理(入金・払出しなど)はほとんど芝川先生にまかせっきりだった。先生の力なしにはこの一年間は無事に乗り切れなかったと思うので大変感謝している。また子供会・文化祭などの主な行事費も、各会計の人にまかせっきりであったので、よく頑張ってくれたと思う。感謝したい。
最後に、僕のわがままを不満なく聞いてついてきてくれた橋本君 蓮総合計)、前滝君(文総合計)、それに芝川先生に心から感謝の意を述べたい。どうもありがとうございました。来年度の会計の人に期待します。(小西 潤一)

外務

今年度が始まってから、急に作られたポジションのためなじみが薄いことだろう。内容は読んで字のごとく、学校外の仕事、他校との交流、その他である。就任直後に舞込んだ仕事は松蔭の新聞部の取材であったが、こんなオインイ仕事は二度と来なかった。あとは主に私学交流会用の書類の作製、他校や企業などからくるアンケートなどの処理であった。私学交流会は十二月に我が校で主催した。交流会では、いかに関学の学友会は恵まれた環境にあるかを、他校との比較で感じた。勉強になったこともあるし、少しは他校の参考になれたかなあと思う。
外務を担当する人は、学校の顔になるわけだから後継の人たちは、ある程度の自覚を持ってやって欲しい。(見市 建)

クラス委員会

今年のクラス委員会は学友会の中で最も積極的に活動できた部門ではないだろうか(と自分では思っている)。
丹羽先生のサポートが非常に大きかったのはもちろんのこと、毎週一回 (一学期と二学期中頃まで)の定例委員会にもほとんどのコミティーが集まり、会議の場が持てたことも良かったと思う。
ただ会長指名の委員長であり、文化祭など他の仕事も兼ねていたこともあって、2学期中頃以降は活動ができなかったのがまずかったことだろう。
総会の議題がこの委員会で処理した最も大きな項目になると思うが、学校全体の要望をくみ上げるのに苦労しました。
この委員会を効果的に活用していくためには、クラスとの風通しを良くしていく工夫が必要になってくると思う。
このクラス委員会は学友会の中で、最も大きな権限を持っています。学校を自分の思い通りにしたい人にとっては最適の仕事だと思います。
最後に数多くの仕事をしてもらったコミティーと、議事運営を手伝ってくれた会長の岡村君、そして、今年のクラス委月を支えていただいた丹羽先生にこの場をかりて、感謝します。Vieltn Dank!(久下 哲也)

美化委員会

現在、世界的規模で地球の環境問題がとり上げられている。地球の温暖化、オゾン層の破壊、酸性雨、砂漠化、熱帯林の減少など。他人事ではない。一人ひとりが加害者であり、瑚同時に被害者でもあるのだ。今まで人類が、消費社会を築きあげてきた事に対する、地球の警告である。そういった地球の危機をむかえ、美化委員会も例年になく活発なものとなった。
今年から、パンショップからの飲食物の持ち込みがホームルーム教室に限り許可され、顧問の古田先生や会長の岡村君とともに、対応策を考えていった。可燃ゴミと非可燃ゴミの区別、そうじの見回り制度、ゴミ袋の設置など。
また美化委員会では、七月に西宮ゴミ処理センターの見学会を実施、月一回の定例委員会による活発な論議など、美化委員会の活性化もはかった。
しかし、様々な美化強化策に相応するような効果は残念ながら得ることができなかった。ゴミの分別は実行されているとは言い難く、放課後の十週間に一度の当番制のそうじも、相変わらず担任教師が中心になって行なわれているし、ゴミ袋も途中、予算オーバーでストップ。美化意識の向上はそう簡単にはなされないようだ。だが、例年よりは皆が少しでも美化に対する関心を持ってくれたと信じている。今年は高等部の美化元年となったと思う。
皆、いつか必ず環境問題を身近なものとしてとらえる日が来るだろう。その時、考えてほしい。地球人として、何ができるかを。
最後に、古田先生どうもありがとうございました。これからも高等部の美化意識を高めるために頑張って下さい。それと、僕を委員長として選んでくれ、共に頑張ってきてくれた会長の岡村君にも感謝したい。本当にありがとう。(谷川 敦郎)

礼拝委員会

11月のある深夜ふと気配を感じ目が覚めた。すると僕のベッドの足元で祖父が仁王立ちしていた。夜中4時ごろになぜ祖父が僕の寝室に…と一瞬身がまえてしまったが、僕が目覚めたのを確認すると何も言わずに僕の腕を引っばり車に乗っけて進みだした。
車は県立西宮病院で止まった。今どこにいるのか分からなかったがファンタジーが見えたので阪神西宮だとすぐに分かった。ファンタジーのバラエティーさんには最近お世話になりっぱなしだったからだ。
病院に入ると母がノーメイクで待合室に座っていた。遠くからで分からなかったが泣いているようだ。父が交通事故で重体だということはその時知らされた。
その後少しすると面会時間となった。最初父を見て絶句してしまった。左足は折れ、耳はひきちぎられ、頭も手術の前のようで髪を切られていた。医者のくわしい話によると、肺もつぶれかけで、脳も強打しており、命をとり止めたのが奇跡であったらしい。家を出た時から事故ではとうすうす感じていたが、父が加害者だとずっと思っていた。なぜなら僕の父はトライアスロンの現役の選手で毎日ジムに通っており、筋肉マンである。まさか父が被害者なんて想像もしなかった。人間の体なんて、なんてもろいんだと痛感せずにいられない。
父はその日に限り黒の皮ジャンを着ており、夜中なので100キロ近くでとばしていた運転者には気づかなかったらしい。人の生死なんて紙一重、運・不運だなぁと思った。
高校生にもなれば父親と話す機会と言うのは少なくなるものだと思う。顔を一度も見ない日だってある。けれども、こう言う事になって初めて自分の中にある父親というものを考えさせられた。
今これを読んでいるあなたにとって父親とはどういう人ですか。
P・S 現在(1/12)父の意識はだいぶん回復したが、今度は忘れていた〝痛み″を思い出し、あばれる父をとりおさえる毎日である。(南 洋志)

アッセンブリーを終えて

今年のアッセンブリーは少し例年とは違い、学友会とかなり一緒になって進行されました。
私が昨年、委員長を八田きんから引き継ぎ、一年間副委員長の小山と共にやってきたわけですが、別にしんどいわけでもなく、火曜日は学校へ行けばよいといった安易なものでした。しかし、この高等部を一つにまとめるのはとても大変な事であったように思います。
恒例の芸大会の数も少し減りはしましたが、一年の村岡、三年の小西などの芸人も出現しそれなりに充実したものになったと満足しています。
私はこんなにマジメにこの文章を書いていますが、これは書き直しで最初の文章はとても面白かったのでとても悔しいです。小山、木本、ゴメンな。
最後に来年度は委員長にQB正重、副委員長に女好きの安田にやってもらいますが、みんなが一つにまとまって、アッセンブリーがますます発展することを期待しています。(委員長 渡辺 憲史  副委員長 小山 晋)

食堂局

はじめ、食堂局長はムチャクチャ楽だと聞いていたので、会長の岡村にたのまれてやってみました。はっきり言って、おいしい仕事だがしんどいです。
文化祭前にカレーとヤングランチの試食会があったのですが、ぼくは陸上部貝で当日武庫川で駅伝に出場しなければならなかったのでボツ。他のラグビー部のやつにやってもらいました。また、文化祭で食品を取り扱う人達にはたくさん検便してもらいました。とても大変だったです。
1年間でやった仕事はこれだけです。年に1回、お金をはらわずに試食できるというすばらしい仕事です。来年度は課題がたくさんあるので、やることのないひまなしっかり者が、がんばって食堂を盛り上げていってほしいと思います。
食堂のおばちゃん、1年間どうもありがとうございました。(魚谷 妃豪)

保健局

俺が保健局長羽尾健志だ!
仕事は一つもない。検尿、検便、献血など全然関係ないし、牛乳を配っていたのも関係なく極めて楽な仕事であった。保健局長とかいっても保健局なんか存在しないし、局長一人である。でも一応、学友会の役員のうちに入っているから、けっこうえらいぞ。
一九九二年一月十六日三時間目 物理の時間(羽尾 健志)

サービスリーダーズ

今年のSLは、人数こそ去年と変わらなかったものの、気合いは充分だった。メンバーはドラマー魚谷、声の通らない澤野、爆発頭岡村の三年軍団。そして一年期待のホープ高橋の四名だった。
今年は澤野君のアイデアで、学ランを購入した。いつもの私服と、長ラン+ドカンではインパクトが段違いである。これは部費で買ったので、代々受け継がれるだろう。
活動内容は、アッセンブリーでの校歌、応援歌のエールを中心に各部の応援だったが、後輩達に忠告。せっかく忙しい時間をさいて応援に行ったのに、一年生の各クラスで授業中に「SLは応援の仕方を知らん。最低や。」「SLは使える腕が三本やった。」等とけなすH先生のような人の顧問する部の応援には決して行かないように。
アッセンブリ一等で前に出る快感や、友人を懸命に応援できる充実感は、筆舌につくしがたいものがある。人数が多い方が出来ることも多くなるので、人目など気にせず君もSLに入ろう!(岡村 眞介)

放送部

放送部は普段あまり活動していなかったが行事のたびにあらゆるスタッフとして活動を行ってきた。
「子供会」
今年は関学で行われたため、子供会で使うマイクやBGMを担当した。雨だったので、体育館の放送設備を使った。
「関々戦」
今年は関一で行われたため何もしなかったが来年は関学なので、少し書いておくと、例年放送部が関々戦のアナウンスを全て任される。まずグランドにラック一式とラムザのスピーカーを置き、テープ、マイクをミキサーに接続する。クラブハウスのところにある放送設備はジャックが違うから多分使えなかったと思う。一度確認して下さい。
「文化祭」
文化祭での放送部の仕事はまず本部への放送設備の設置から始まる。例年通り、放送室からシールドをひいて本部にマイクを置き、放送室側にはワイヤレスのトランスミッターをつなぎ、それを放送室の中までとばして、接続した。本部の場所は変えようがないので来年もこの方法でやるしかないでしょう。次にステージでの音響やBGMも担当したのだが司会者用のマイクが一本しかなく、もう一人はしかたなくピンマイクを使ってもらった。来年のステージまでに新しいマイクを買って下さい。あと、当日の呼び出しもやったのだが、例年通りで特に問題はなかったと思う。
最後に、今年は放送部として特に目立った活動はできなかったが、いろいろな行事で、なくてはならない仕事をやってきたと思う。来年からも、もっと活発な活動を続けていって欲しい。(藤田 耕平)

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