1993年度 学友会報告

(マスタリー第16号p38-44、p248-268より)

学友会内の変革を語られた志賀先生に対し、会長である能島君が、ちょっとした(無茶ムズイ)論文を提供してくれた。まだまだ高等部が抱える問題は多そうだ。ゆっくり、じっくり読んで頂きたい。

学友会改造計画

能島 裕介

序にかえて−暗黙の了解を越えて−

いま学友会は暗黙の了解に支配されている。明文規定たる学友会会則はその不備の故に自らの役割を否定し、会員のほとんどはその内容すらも知らない。この責任は各機関の関係を明記していない非体系的な会則と実際の運営だけを重んじ会則を軽んじた為政者にある。僕は決してこのような状況が望ましいとは思っていない。むしろ伝統や暗黙の了解といったものよりも明文化された会則の方が重要であると考えている。なぜなら明文化された会則はそれぞれの時代を貫く普遍的なよりどころであり、各時代の学友会の叡智の結晶であるからだ。それは伝統や慣習といった極めてあいまいなものではなく確固とした存在であり、都合による解釈の変更を許さない。
しかし現在まで多くの為政者は合理的で現実的な会則を作る作業よりも実在する会則を放置し実際面での運用に力を注ぐことを選択してきた。そしてその結果として残ったのが非合理的で非現実的な会則であった。もし仮に現在の会則を厳格に運用したとしたら、学友会は機能しなくなるだろう。そうでないとしても現在の組織機能よりも悪化することは間違いない。このことは一面的には非現実的な会則よりも現実を取った賢明な判断とも思えないことはないが、組織としてその規範となる会則を無視することはその存在自体に関わる大きな問題である。どのような会則であったとしてもそれが民主的な手続きで成立したものである以上、それは最高規範として守らなければならないのであり、会則に不備のある場合はそれを改めるのが妥当である。
なぜ僕がこのようなことをいうのか。それは極めて自己中心的な答えではあるが、僕がその間題に気付いたからであるとしか答えられない。人はそれぞれに異なった性質、オ能を持っているものである。もし「学友会改革」を共通の目的としたとき、それに必要な人材は次の二つに分けられる。新しい学友会制度を作る人とそれを実行する人である。言い替えれば前者は器を作る人であり、後者は新しく作られた器に注ぎ込む人である。前者には過去にとらわれない新しい発想が必要であり、後者には率先してそれを行う実行力と会員をリードしていくカリスマ性が必要である。僕自身は前者に適しているように思う。もちろん後者の特性を持っていないことへの非難を回避するつもりはない。しかし自分の持っている特性を最大限に発揮したいと考えている。それが自分の責任であり、義務であるからだ。最後にこの聖句が大きな意味を持ってくる。
「新しいぶどう酒は新しい革袋に入れよ。」

I、学友会の基本

民主主義とは何か

「人民の人民による人民のための政府」
リンカーンはゲディスパーグの演説の中で政府のあり方についてこういっている。この言葉を用いて民主主義の本質を語るならば民主主義は「人民による」制度ということができると思う。民主主義はあくまでも制度であり、目的ではない。誰かが書いていたがデモクラシーは民主主義ではなく民主制と訳すべきであると僕も思う。民主主義は主義主張ではなく、制度なのだではその制度は一体どのようなものなのか。
一言でいうなればなんらかの形で構成員すなわち民主制における主権者が意思決定に関わる制度のことである。その具体的な方法は様々であるが、大きく二つに分けることができる。直接民主制と間接民主制である。一般的に前者の方が権限が強いように思われるが、それは制度上の問題であり感覚にとらわれる必要はない。しかしながらその制度の決定に関してはその構成員全員に意思表示の機会は均等に与えられるべきである。これが民主制の第一歩である。また極論ではあるがある個人若しくは機関に対して非常に大きな権限を委任することも民主制の一種であると考、えられると思う。ただしその場合、その個人等を罷免、解散する権限やその決定に対する異議申し立て、拒否権は常に主権者に与えられなければならないことは当然である。

自由とは何か

自由には責任が伴うという考え方があるが、その考えには反対である。自由とは自己の行為を絶対的に自分自身が決定することを意味する。そこには責任の概念はない。責任とは他者の自由との関係において存在する。自らの自由が他者の自由を侵さないようにする責任があるのだ。しかしこれは自由に責任が伴っているのではなく、その責任は他者の自由に包含されているものである。すなわち自己の自由には他者に対して自分の利益が侵されないようにするための権利を持っている。国家が万人の万人に対する契約であるとする社会契約論はこの思想の上に成り立っていると考えられる。自己の自由(権利)を守るために、一定の自己の自由を供出するのである。自由には責任が伴うという考えがある以上、真の自由は程遠い。それらは自由という言葉と引替えに責任を負わせようとする為政者の口実にすぎない。
また特に気になるのは「2つの自由」に関する問題である。表面的な自由と本質的な自由である。今日、至る所で主張されている自由はどうも前者の様な気がしてならない。高等部で主張される服装の自由などはその典型的なものである。しかし本当に大切なのは後者である。後者には目に見える自由だけでなく目に見えない自由も含まれる。服装の自由は確かに目に見える自由であるが、その延長線上には表現の自由という目に見えない自由が存在する。いくら服装が自由であったとしても、掲示物の許可制などという表現の自由を侵すものがあるような学校に自由を語る資格はない。

学友会の目的

学友会会則第3条は学友会の目的として次のように定めている。「__本会は関西学院大学__学生会、中学部生徒会と__密接な関係を保ち、__学院建学の精神を体し、__自治の精神に則り、__学徒の学術、思想、情操、__体位を向上し、__”’以って学風の振興を図ること”’を目的とする。」
ではこの条文を厳密に解釈していこう。まずこの条文は前半部と後半部に分けることができる。下線が前半部で、赤字が後半部である。この条文は目的を示している訳であるが、その中でも前者は手段が善かれ、後者はその結果が善かれている。つまり学友会の究極的な目的は「学風の振興」なのだ。これは大きな問題である。なぜなら学友会は自ら学校の御用機関としての地位を明言しているからである。学友会にとって最も重要であると思われる「学徒の学術、思想、情操、体位の向上」はあくまでも「学風の振興」のための手段に過ぎない。
このような会則によって本当の自治が完成するはずがない。自治とは民主的な方法によって自らを治めるものであるからだ。そしてその福利はつまるところ自己が享受するものである。別に学校と学友会か対立する必要はないが、組織としての領域ははっきりきせなければならない。このような馴れ合いが学友会活動の停滞をもたらしていることがそのことを如実に証明している。会則第3条を示されて現在の学友会活動は「自治ごっこ」であるといわれても反論することはできない。

権限一元論

すべての権限の由来が主権者たる会員にあることは前にも述べた。権限一元論はそこから展開される。学友会において会員が直接的に意見を表明する機会はそれほど多くはない。正副会長の選挙、役員のリコール請求、クラス委員の選挙、総合における採決くらいである。それらを分類すると積極的な意思表明と消極的な意思表明に区別することができる。積極的な意思表明とはある特定の事柄にたいして是非の意思表明をすることであり、総会の採決などがそれにあたる。またリコール請求も厳密にはこれに入ると解すべきである。消極的な意思表明とは主権者たる自らの権限を委任するため、代理を選定することである。選挙はこれの典型的なものである。ここでは後者に注目し、話を展開していく。
主権者たる会員が学友会執行のために権限を委任し、選定するのは正副会長である。(正確には副会長は会長職の補佐、有事の代理であり会長職と表記すべきである。)つまり学友会の執行権の源は会長に発する。この点において代表者の集合体であるクラス委員会などとは構成上、全く異なっている。そして会長は会則の定めるところにしたがい役員会を編成する。ここに学友会の最高執行機関が完成する。あらゆる行事も、クラブも、役員会から執行権を委任された一機関である。すべての執行機関の権限は役員会に帰し、その源は会長を通して会員に通じる。すなわちすべての機関は役員会に対して責任を負い、役員会・会長は会員に対して責任を持つ。

学友会を人体にあらわすと

学友会には様々な機関があるが、それは議決機関と執行機関に分けることができる。クラス委員会、美化委員会などは前者であり、役員会や各種執行委員会、各線部などは後者である。この章ではこれらの機関のあるべき姿をわかりやすくたとえを用いて説明しようと思う。
まず議決機関であるが、これは人体でいうと感覚器とそれを司る感覚中枢である。感覚中枢とは人体の五感を司っている脳の機関である。議決機関が行うことはどのような状況であるか目で見、耳で聞き、肌で感じて判断し、なんらかの行動せよという指令を脳の別の機関に出す。その機関が役員会である。役員会はその指令を具体的にどのようにして行うかを考えて、神経を通じ全身に具体的な行勅命令を出す。また言語理解のために言語中枢があるように、特に重要な事柄に関しては特別な執行委員会を置く。しかしこの場合も執行委員会は役員会の直属機関であって独立してはいない。それがすべての行事等において会長が頂点である所以である。

II、学友会改造計画

慣例の排除

慣例が学友会をむしばんでいることは前述のとおりである。ではそれを排除するためにはどのようにすればよいのか。慣例といわれるものをすべてピックアップし、有益なものは規約として明文化し、そうでないものは排除するのである。これには様々な困難がともなうが、時間的にはそれほど長くはかからないと思う。
優先順位からいうと会則の抜本的な改正、会計規約の制定、各機関の内規の制定である。特に会計規約の制定は急務である。なぜなら一部の総部において総部内の予算割当の決定が顧問の独断で行われているという事実があるからである。会則は予算割当の権限を役員会の専決事項として定めており、総部の部に対する予算割当権は役員会が総部に委任したものであって、総部顧問に委任したものではない。このようなことが起こる原因には学友会全体を通しての会計の一貫した規則がないことが挙げられる。これは顧問の問題というよりも、自分たちのことを顧問にすべて任せてしまおうという考え方自体が間違っている。この考え方は予算割当のことだけではない。日常の学友会活動や部活動においても必要以上に顧問に任せるといった風潮は自粛しなければならない。このような考えが学友会を名実ともに「自治ごっこ」の機関にしようとしているのである。

学友会の三権分立

学友会改革の第一歩は顧問も含めた権力範囲の明確化であると思う。ボーダレスな権限を持った顧問が個性のない学友会作りに大きな影響をおよぼしていることは明白である。そこで僕は三権分立を提唱したい。この三権とは議決権、執行権、監督権である。議決権はクラス委員会が持ち、執行権は役員会を中心とする執行機関、監督権は顧問、正副会長、正副クラス委員長で構成する連絡会議が持つ。それらは互いに相関関係にあり、均衡が保たれるようになる。そしてこれらを超越した機関として総会を置く。総会の招集権はそれぞれの機関が持っており、総会の決定は絶対である。これによって各機関の悪意による学友会運営の停止を防ぐことができる。
まず議決機関であるクラス委員会は執行機関に対し執行命令を決議し、執行機関からの提案を審議する。執行機関は執行命令を執行するとともに、全会一致でクラス委員会を解散することができる。また連絡会議は執行機関の執行及び議決機関の議決を監督し、必要に応じてその無効を決定することができる。 なお、HRの運営決定は便宜上、連絡会議が行う。

執行機関改革

今年の組織は体系的になっているが、それでも多くの問題があった。最大の問題は規模が大きすぎることである。そのため柔軟性に欠ける。突発的な問題が起こった場合、対処が取りにくく、責任の所在もはっきりしない。そこで提唱するのが会長直属機関としての庶務局の設置である。今年も庶務局は存在するが、規模が大きく、また役員会直属であるため柔軟性に欠ける。僕の提唱する庶務局はオールマイティーな機関である。庶務局長は会長が兼任し、局員は各学年2名の計6名くらいが適当である。また下の学年から副局長を会長が指名する。副局長は会長の秘書的な役割を行い、常にともに行動する。これによって縦のつながりも自然に生まれていく。庶務局は何でもやる。普段は印刷や文書作成、企画立案、広報宣伝などを行い、問題が生じれば食堂や図書館との交渉にあたったりもする。いわば学友会の何でも屋である。

議決機関改革

「美化委員会と礼拝委員会を学友会から切り離す」
議決機関改革の目玉はこれである。なぜか。理由は簡単である。この二つの委見合は学友会の趣旨にそぐわないからだ。学友会の目的はつまるところ会員の福利であると思う。それならばこの目的に美化、礼拝がどのような役割を果たすのだろうか。確かに学校が美しくなることは会員の福利ではあるし、宗教に救われる会員がいるかも知れない。しかしそれらは学友会の領域ではない。学校の領域である。この点は中学部でははっきりとしていた。中学部にも宗教委員、風紀美化委員というのがあったがそれを任命するのはあくまでも生徒会ではなく学校だった。
この領域論にけじめをつけなければ大きな問題が生じる。美化委員会を例にとろう。美化委員会は会則で「美化に関して総会に次ぐ権限」を有するとされている。ではその美化委員会がもし仮に「掃除は行わなくてよい」という決議をしたとする。それで本当に掃除をしなくてよいのだろうか。決してそうではない。掃除をしなくて汚れるのは学校の所有物たる校舎であり、学友会の権限が及ぶ範囲ではない。礼拝委員会でも学校の宗教教育に関わることであり、学友会の領域ではない。これらの委員会は学校の美化、宗教活動の道具とされていただけである。
第二の改革はクラス委員会改革である。クラス委員会に学年ごとの分会を設置し、その権限の一部を委任する。そしてその分会に代表者を置き、それらの代表者と、正副委員長でクラス委員会の運営を協議するのである。この改革にはどのような意味があるのか。それは発言力の小さい下級生の意見を十分に聞き、各学年の独自性を出すということにある。

総会改革

総会開催を容易にする。総会改革はこの一語につきる。現在はクラス委員会の議決のみに招集権があるが、それではクラス委員会の上級機関としての総会の機能がなくなってしまう。なぜなら上級機関には下級機関からの諮問を判断することと下級機関を審査する機能の両方が兼ね備わっていなければならないからだ。後者の機能を十分に発揮させるためには総会の招集を分散させる以外にはない。僕は前述の連絡会議、役員会、クラス委員会にそれぞれ総会の招集権を持たせるとともに学友会の最高議決機関という役割だけではなく、学友会の最高機関としての役割を持たせるべきであると思う。また主権者たる会員がそれらの機関を監査することは当然であるので、会員の署名による招集も必要である。

III、むすび —明日を担う人へ—

恐ることなかれ

「身を殺して魂を殺すに能わざるものを恐ることなかれ」
日本を代表するロマン主義文学の小説家徳富蘆花はこの言葉を用いてこう演説した。少し長くなるが引用しようと思う。
「肉体の死は何でもない。恐るべきは霊魂の死である。人が教えられたる信条のままに執着し、言わせらるるごとくいい、させらるるごとくふるまい、型から鋳出した人形のごとく形式的に生活の安をぬすんで、一切の自立自信、自化自発を失うは、これすなわち霊魂の死である。」
明日を担う人はまさにこうこの信念を持たなければならないと思う。
何かをしようとする時、教師を恐れる。失敗を恐れる。これらはすべて取るにたらないことだと思う。まわりがどのような反応をしても、自分が正しいと思うことは妥協するべきではない。学友会は民主的な組織なのであるから、学友会のしかるべき機関の判断に託すべきである。教師と生徒は全く別の世界の人間であるからだ。つまり教師は学校の領域の住人であり、我々は学友会の領域の住人である。だから学校の領域を侵さないかぎり、学友会は独自に判断できるし、またするペきであると思う。
また失敗はあくまでも結果である。我々が行うのはその過程である。もし過程の中で悔いがあるのなら、それは反省すべきであるが、最善をつくして失敗したのなら悔いる必要などない。ましてや実現に取りかかる前の段階で失敗を恐れ、それを行わないことは論外である。何かをして失敗することよりも、すべきことをしないことの方が重大な罪である。

始まりはいつも困難

「国民はよいものであっても、新しいものは拒否する。」
これはあのロシアのピョートル大帝がいつも語っていた言葉である。この言葉の通り、新しいことにはいつも困難が伴う。特に現状にある程度、恵まれている場合、極めて保守的な風潮が生まれる。リスクを負って新しいことをするよりも今のままの方がよい。これが大衆化への第一歩である。無関心もその塘はここにある。恵まれている状態にあっては目先の利益にとらわれ遠くを見通すことができなくなるのだ。彼らが本気になるのはただ一つ、既得権が奪われそうなときだけである。しかしそれが彼らの許容範囲内で且つ自分よりも強い力で強制されれば、その現状に甘んじてしまう。無駄な抵抗をするよりも現状に適応するのが得策であると判断するのだ。つまり彼らはその是非は別にしても極めて合理的な思考を持っているのである。
そのような状況で明日を担う人の責任は、広い視野で遠くを見通し、何が彼らにとって最善であるかを判断することである。この判断は時として彼らに受け入れられないことがあるかも知れない。そんな時にこそ冒頭の言葉を思いだしてほしい。受け入れられるものと本当に良いものとは全く別の次元の話である。

伝統は愚者の口実

伝統である。前例がない。こんなことは自分で考えることのできない愚かものの口実にすぎない。確かに本当に良いものは長く続くしかしそれは決して長く続いたから良いものであるという結論には帰結しない。本当に良いものはそれなりの価値があるのだ。それを無視して「伝統である」ということだけを重んじることは愚である。だから僕はあえて言う。「伝統を疑い、伝統にとらわれるな」なぜなら伝統となったものはその当時には極めて「新しいもの」であったはずだからだ。
何かをしようとするときは、まず伝統や固定観念と言ったものを排除し、目的をはっきりと見据えて、何が良いものかを見極めなくてはならない。僕はすべての高等部生にはその能力があると思う。ただ伝統という重い扉で自分の能力をとざしてしまっているのだ。もっと自分に自信を持ってほしい。明日を担う人へ僕は切に願う。

終わりに

如何であっただろうか。特に、十三・十四・十五号を持つ三年生にとっては、〝え!?″というような企画だったと思う。しかし、これ程問題のある学校が、関西学院なのである。
まだまだ掘れば出てきそうだが、少なくとも全校生にアンケートをとってまとめてハイ終わり!の企画ではなかったことだけは認識してほしい。繰り返して言いたい。目をつぶってはな
らない。過去に目を閉ざしてはいけないのである。

学友会報告

93年度学友会役員

:顧問:枝川 豊・芝川 又美
:会長:能島 裕介
:副会長:高橋 昌敏
:書記:勝部 重之・石原 聡
:会計:三浦 格
:総務第一局長:松田 泰秀
:総務第二局長:村上 桂太郎
:事務部部長:木下 忠信
:事務部副部長:奥田 元秀
:広報部部長:尾鼻 史郎
:広報部副部長:西尾 浩司
:渉外部部長:関 正和
:渉外部副部長:仲川 剛史
:企画部部長:有馬 克征
:図書部部長:小川 茂樹
:図書部副部長:堀田 一郎
:食堂部部長:関原 隆弘
:食堂部副部長:秀川 達也
:風紀部部長:原田 良三
:風紀部副部長:袴田 浩文
:保健部部長:松村 隆平
:保健部副部長:谷川 夏樹
:アッセンブリー委員長:松岡 真介
:アッセンブリー副委員長:川井 淳史
:アッセンブリー副委員長:山本 健一郎
:クラブハウス管理委員長:木村 智明
:クラス委員長:渡邊 恭次
:美化委員長:濱村 直之
:礼拝委員長:平 英司
:サークル委員長:高橋 昌敏
:子供会委員長:河野 隆一
:文化祭実行委員長:河野 隆一
:マスタリー編集局長:李 尚
:サービスリーダース部長:高橋 昌敏
:放送部部長:能島 裕介
:運動総部長:畑 敬三
:文化総部長:河野 隆一
:宗教総部長:李 尚

今回は、年間報告と会長の業績報告を「会長回顧録」としてまとめてあります。
ごゆっくりお読み下さい。

会長回顧録

学友会会長 能島裕介

《はじめに》
いま手元に一冊の手帳がある。これは僕が会長に当選した際に文化総部長の河野が「能島、お前これから忙しくなるやろ」といってくれた物である。それまで友人が手帳を勧めてくれても僕は手帳なんて付けなくても自分の予定くらい頭で記憶できると言ってかたくなに拒否してきた。しかしその手帳の予定欄は就任以来、見る見るうちに汚い字で一杯になっていった。はからずも河野の予想が的中したのである。それまで子供会や文化祭のスタッフとして前会長の上野さんを見てきて「それほど忙しくなさそうだな」という僕の印象は崩れ去ってしまった。いまこの手帳を開きながら、この一年間を振り返りたいと思う。

《行事関連》

(スタッフ人選)(当選−12月上旬)
まず僕が当選したのは1992年11月十6日のことだった。それから僕は副会長の高橋君とでスタッフの人選を始めたのである。まず僕がそれまでに組織を考えておき、それらのポストに適任だと思われる人物をあてはめていった。これは本当にできるかぎり最高のスタッフ陣を作り上げるためだった。そして次にその候補者一人一人に就任依頼の手紙を渡した。何人かはことわってきたが、説得を繰返し、多くのポストが第一希望で埋まっていった。それでも埋まらなかったポストは再び別の人材を探し、12月中旬にすべてのポストが埋まった。ちょうど期末試験中のことだったと思う。

〈子供会〉(12月17日−4月29日)
手帳を開くと、12「月17日(木)子供会顔合わせ 小会議室」とある。これが神戸女学院のスタッフと高等部スタッフの初顔合わせである。昨年度から子供会の主催が文総・宗総の共催から学友会に変わったため、学友会が運営を取り仕切ることになった。今年は学友会代表として実行委員長に河野文化総部長、副委員長に尾鼻庶務局広報部長が出席した。その他の委員は文総・宗総の代表で構成した。会長である僕は昨年度の経験者としてオブザーバーとなった。この顔合わせで何を話し合ったのかは忘れたが、あの連日の会議地獄の序章となったのはまぎれもない事実である。

〈私立高等学校生徒会交流会〉
手帳の日付は年を越し、1993年になった。「1月16日(土)交流会 六甲高校」交流会とは右に書いてある長ったらしい名前の交流会のことである。これはその名の通り阪神間の私学高校の生徒会が情報交換するためのもので、二カ月に一回の割合で開かれている。加盟校は灘、甲陽を始めとする有名私学十三校である。毎回各校が提案した議題について話しあう訳であるが、関学もサークル制や文化祭の全員参加問題でこの交流会の意見を参考にさせてもらった。ちなみに副会長の高橋君がその議事団といわれる役をやっている。

〈卒業生送別会〉(1月19日)
1月19日にアッセンブリーの時間を利用して、行われた。開催が急に決まって準備ができなかったため、ビンゴをすることになった。学校にビンゴの機械があるため、東急ハンズでビンゴ用紙を購入し、先生方から賞品を寄付してもらった。準備はほとんどしなかった。このころから「要領の良い役員会」がその実力を発揮し始めたのかも知れない。

〈事務引継ぎ〉
「1月20日(水)引継ぎ」新旧学友会スタッフの引継ぎである。静修室で新旧スタッフ同士で話してもらったが、資料の引継ぎが全くなかったため、あまり意味がなかったように思われる。

〈幻の臨時総会〉
僕は立候補時の公約として「サークル制導入」を掲げていた。そこで当選以来、それまでに僕が起草していた「サークル設置規約」を中心に役員会、クラス委員会でサークル制の導入に関して、協議を進めていた。そして2月23日臨時給会が開催されることになった。教務も協力して下さり、授業時間を短縮するとの確約を得た。しかしである。僕は2月上旬、流行性感冒いわゆるインフルエンザにかかってしまい、何と入院することになってしまったのである。連日、文化総部長の河野は病院を訪問してくれ、僕の代わりにクラス委員会への対応や事務処理をしてくれたが、審議不十分を理由にクラス委員会は臨時総会の開催を否決したのだった。2月10日のことであった。それにしても河野には非常にお世話になった。深く感謝したい。

〈マスタリー編集局〉〈2月19日〜〉
「2月19日(金)中休み マスタリー 315」中休みというのは、他の学年の礼拝時間を意味する。この時間は遅日廃止がもたらした数少ない副産物の一つで、役員会やサークル委員会など学友会の会議が良く行われる。その時間にマスタリー編集局の第一回会議が開かれたのである。編集局長である李が集めてきたスタッフが一堂に集合した。この日からマスタリー編集局の血のにじむような編集作業が開始された。「マスタリーは学友会の仕事の中で一番しんどいけど、できたときのうれしさも一番だ」といったのは前マスタリー編集局局長の中才さんだが、マスタリーの編集作業は本当にこの言葉の通りだと思う。局長の李を始めとする局員一人一人が頑張ってくれるからこそ、マスタリーが発刊できる訳であるし、この文章もそれに載ることができるのである。局長、局員の皆さんには本当に感謝するとともに、局員でありながら協力できないことを深くお詫びしたい。

〈礼拝奨励、卒業式送辞など〉
これらは会長としての本来の仕事ではないが、たまに学校行事などで挨拶をすることがある。これは学友会の代表である会長は生徒の代表であるという論理に基づいている。この論理はいささか安直ではあるが、僕自身挨拶などが嫌いではないので、嫌がらずやっている。

〈クラブ紹介誌発行〉
「3月31日(水)15時 大学SC 馬淵」これは「大学生協サービスカウンター(新学生会館)で仁川印刷所の馬渕さんに会う」という意味である。今年度、学友会は庶務局広報部を中心にしては新入生のためにクラブ紹介誌を作ることにした。予算削減のため、原稿はワープロ打ちでそれを印刷、製本してもらうことになった。その締め切りが31日だったのである。この紹介誌が後に問題になろうとは知るよしもなかった。後に起こった事件に関しては、志賀先生が本誌に寄稿された「21世紀民主日本を担う一人一人へ」に詳しく善かれているので、参照されたい。

〈新入生オリエンテーションキャンプ〉
〈4月3日、4日〉
これには僕と副会長の高橋君が学友会の代表として参加したが、特別、学友会に関わることはしなかった。ただチーフの永田君を始めとしてリーダーとして参加していた同級生のみんなが本当によく頑張っていたのを見れた。普段、見ることのできない一人一人の横顔を見ることのできた貴重なキャンプだったと思う。

〈会則改正〉(4月8日−6月15日)
役員会で会則の改正案を配布した。この改正案は全面的な白紙改正案であった。しかし、量があまりにも膨大で、なお且つ6月の定期総会までの期間が短かったことなどから大幅に削減することになった。しかし現行の会則にはまだまだ改正すべき点が数多く残っている。

〈新入生関連〉〈4月13日−15日〉
4月13日に新入生歓迎会、14・15日にクラブ紹介を行った。新入生歓迎会はステージでブラバンの演奏や漫才などを行った。同じ日に新入生を対象に学友会の一年間をまとめたビデオを放映した。クラブ紹介は視聴覚室で14日に運総、15日に文総・宗総の紹介を行った。

〈総会〉(4月20日−6月15日)
「4月20日(火) HR 総会議題募集」6月8日に行われる学友会定期線会の議題を募集した。一年生はまだ高等部のことについてよく知らないためHRには役員を配置し、指導するようにした。今回、総会の議題決定の方法は次のようにした。まずHRで議題を募集し、クラス委員会で取捨選択をする。そしてそれを役員会に送付し、役員会はその議題案と役員会の提案を協議し、再びクラス委員会へ送付してそこで最終決定する。これで総会に望む訳であるが、今回の総会は今までの要求だけの総会ではなく、自分たちが学友会を変えていくという極めて能動的な議題が多く、今後の総会のあり方に一石を投じたものとして注目に値すると思う。また今回は時間超過のためはからずもー週間後に再開されることになったが、これは運営側として協議の時間が確保され怪我の功名だった。来年度からはこれを制度化してもよいかも知れない。参考までに今回の議題を書いておく。

策一号議題 学友会会則改正に関して
①委員長選出期限に関する事項
可決(賛成661名、反対61名)
②総会の招集権に関する事項
否決(414名、234名)
③役員会とその直属機関に関する事項
否決(335名、122名)
⑥正副会長選拳に関する事項
一、正副会長を一組として立候補させる事項
否決(149名、472名)
二、正副会長の立候補がなかった場合の事項
否決(243名、118名)
⑤役員等のリコールに関する事項
可決(565名、30名)
⑥三年生二学期の特例に関する事項
否決(468名、38名)
第二号議題 サークル設置規約案に関して
可決(348名、158名)
第三号議題 牛乳の30円販売の時刻を早める件に関して
可決(539名、43名)
第四号議題 食券の自動販売機設置に関して
可決(246名、177名)
第五号議題 机の棚の横を囲う件に関して
否決(168名、319名)

〈文化祭〉(4月21日−11月3日)
4月21日、学友会顧問、文総顧問、正副会長、正副執行委員長とで文化祭の第一回会合が持たれた。それまでに役員会で文化祭執行委員長に文化総部長の河野を当てることが決まっていた。この場では文化祭の基本的な事柄が決定された。文化祭の全員参加もこの場で僕が提案したものである。この会合は毎週定期的に開催されることになった。文化祭に関しては詳しくは文化祭報告を参照してほ
しい。

〈スポーツ大会〉(5月6日−7月14日)
「5月6日(木)役員会 スポーツ大会について」とある。どんな行事も最初は役員会で協議され、それぞれの機関に下ろされていく。文化祭も役員会から執行委員会に下ろされたものであるし、関関戦も同じことである。この役員会ではスポーツ大会の種目の希望をHRで聞くこと、企画、運営を運総に一任することが決まった。スポーツ大会は運総がほとんどやってくれたので会長は直前の準備と当日の運営を手伝っただけである。それといつも驚かされることだが、運総はとても要領がいい。けじめがあるというのか集中力があるというのか準備などはすぐに終えてしまう。

〈関関戦〉(5月26日−9月16日)
関関戦で忘れてはならないことがある。「関関戦は学友会行事ではなく、学校行事である。」つまり学友会主催ではなく、高等部主催なのである。学友会はその主管をやっているのである。これは何を意味するのか。学友会は運営しているのではなく、運営させてもらっているのである。そろそろこれは見直す必要があるような気がする。開関戦を本当に生徒の手で作り上げるのなら、名実ともに学友会の物にする必要があると思う。

〈役員会研修会〉(6月8日−6月9日)
今年は6月9日が皇太子殿下の御成婚の日であったため休校で、それを利用して甲山青年の家で合宿を行った。これはクラス委員会の企画していた研修会に役員会が便乗させてもらったものだが、ちょうど第一回総会が行われた日であったため、総会の反省などをして次回に備えた。これは研修というよりも親睦を兼ねたもので、有意義であったと思う。

〈先生方との懇談会〉(10月7日)
学友会を運営していく中で先生方との連絡を密にすることは重要である。しかしあまり堅苦しいことはしたくない。そういう発想で行われたのがこの企画である。まずHRを利用して、懇談会のテーマを募集する。もちろんどんな小さなことでも構わない。それをまとめてテーマ集を作って、歓談会参加者に配布した。懇談会参加者は学友会から役員会代表として僕と、副会長高橋君、書記石原君・勝部君が、またクラス委員会代表として委員長渡連君、副委員長高橋君、三年の委員を代表し富岡君・小川君、二年生を代表して中山君・久保君、一年生を代表して井上君・藤本君が参加した。教師会からは中島部長、崎副部長、芝川教務主任、柴山生徒指導主任、枝川学友会顧問、福嶋クラス委員会顧問が出席してくださった。話し合いは二輪車免許の問題から先生の教え方の問題まで幅広く行われた。

〈次期学友会会長・副会長選挙〉(11月9日−11月20日)
今年の選挙は大きな変更を行った。まず日程面であるが従来、立会演説会の直後に投票を行っていたが、それでは候補者を知る機会があまりにも少なく、情報がないために非常に無責任な投票になってしまうおそれがある。そこで今年は火曜日のアッセンブリー終了後に立会演説会を行い、その週の土曜日に投票を行うことにした。ここで問題になったのが会則の規定であった。会則は投票日の「およそ一週間前」に会長が選挙の公示をすることと定めている。しかしこの日程で考えると、13日の土曜日に選挙の公示を行い、15日の月曜日に締め切るという非常に過密な日程になってしまう。そこで会則の「およそ一週間」という言葉の「およそ」に注目して、九日の火曜日に公示を行った。参考までに日程を書いておく。
11月 9日(火)選挙公示
11月12日(金)立候補締め切り・候補者写真撮影
11月15日(月)立候補者公示
11月16日(火)立会演説会
11月20日(土)投票・結果公示
なお今年は投票方法も変更した。まず投票所を各階ホールに設置し、一方通行とした。机、ロープなどで順路を作り、それにしたがっていけば投票できるような仕組である。今回は前述のように土曜日に投票することになったため、2時限目と3時限目の間の25分間で要領よく投票を行う必要があったためこのような方法となった。
開票作業は役員を三時限目、公欠とし面談室三で行った。まず投票総数を計算し、続いて投票用紙を裁断機で会長の投票と副会長の投票に切り、それぞれ数えていった。白票・欠席は棄権、落書き等は無効として処理した。

《日常業務》

〈役員会〉
役員会はクラス委員会とともに学友会の中枢を担う重要な機関である。今年は毎週木曜日の中休みの時間に学友会室で行っていた。ここで学友会運営に関する重要な事柄が決定されていく訳であるが、それほど堅苦しい雰囲気ではない。

〈クラス委員会〉
会長は別にクラス委見合に出席しなくてもよいのだが、役員会からの提案があったり、重要な議題である場合には出席した方がよいと思う。あと本題からはそれるが、クラス委員会の開催場所は変えるべきであると思う。現在、315教室で行われているが、その定員が25名であるのに対し、顧問、委員長、副委員長、委員等をあわせると優に40名を越える。しかも次年度からはクラスの増加に伴い、クラス委負の数も増える訳で、小教室では狭すぎる。また315教室は授業用の部屋であるため、会議に適しておらず、学友会の中枢であるクラス委員会が行われる部屋としては貧弱である。現在、学枚側は原則として生徒に会議室等を使用させない方針であるが、クラス委員会などの学友会の正式な機関に限り特例として使用を許可してもよいのではないかと思う。おそらく学校は部屋の管理面で危倶しているのではないかと思うが、それは学友会がしっかりと責任を持ち、なおかつ顧問が同伴であれば解決する問題である。

〈HR運営〉
HRは基本的に役員会(他の執行機関も含む)、クラス委員会(他の議決機関も含む)、 学校(担任)の三者のための時間であるから、その運営に関してはそれぞれの都合を調整する必要がある。そこで今年度は試行錯誤の上次のようなシステムを取ることにした。まず、HRの利用を希望する役員は所定の用紙に記入し、担当の役員(今年は高橋副会長)に提出し、コミティーの協力が必要な場合はクラス委員会で説明する。またクラス委員会からの議題がある場合はクラス委員長または会長を通じて高橋君に報告する。そして高橋君はそれをまとめて時間配分をし、顧問を通じて各担任に配布する。もしそこで学校からの予定が入っている場合は会長・クラス委員長・顧問とで協議する。なおコミティーは議決機関の人間であるから、執行機関の管轄には属さないと主張する人がいるが、コミティーはクラス委員食においてのみ議決機関に属するのであり、その職務に包含されるHR運営に関しては次元が別である。

〈広報紙「学友会報」〔仮称〕発行〉
役員会がいまどんなことをやっているのか、またどんなことが決まったのかということを会員に知らせることは大変重要なことである。もしそれが十分になされていなければ、どんな素晴らしいことを決めても意味がない。今年度は11月末までに四回の学友会報と三回の号外を発行した。これは毎回、定期試験の頃に制作するのでそれに応じた数になっている。紙面は新聞調に段組み、縦書きにし、イラストを多用してよみやすいように努力した。サークル制の説明で漫画を使用したのは名案だったと自負している。この場を借りてイラスト制作をしてくれた美術部の大藤に心から感謝したい。

〈アッセンブリー〉
アッセンブリーは学友会が自主的に運営する学友会の時間である。この時間の利用に関しては様々な意見があると思うが、今年の運営は全般的に順調に行っていたのではないかと思う。今年はアッセンブリ一利用のシステムが確立していたため大きな混乱もなかった。ただ会員一人一人がもっとアッセンブリーが自分たちの物であることを自覚し、行動していく必要があると思う。

〈サークル制〉
総会で「サークル規約」が可決されたことにより、正式にサークル制が始まった。まずサークル制を運営していく委員の選出である。規約により、委員長は会長が指名し、委員は総部長が指名してクラス委員会が承認することになっている。今年は委員長に高橋学友会副会長、委員に運動総部長推薦の濱本君、文化総部長推薦の濱村君、宗教総部長推薦の小川君が就任した。サークル委員会の活動に関してはその業績報告を参照していただきたい。

《おわりに》
「会長が頑張っても、学友会は何も変わらない」という人がいる。実に的を射た発言である。学友会を変えるのは会長でもなければ、役員でもない。それは会員一人一人である。会長や役員がするのは、それらの一人一人がどうすればよりよく変化していくことができるのかを考え、実行していくことである。
今年、僕は「個人を重んじた学友会」を目指し、努力してきた。どんな組織でもそれを構成する個人を尊重することは当然である。しかしこの一年間そんな当たり前のことをしていくことが非常に困難であることを知った。今一年間を振り返ったが、結果はすぐには出ない。ある人は「能島が個人の尊重とか馬鹿なことを言っとったな」と言うかも知れない。また「組織は個人の上に成り立っているだから個人は組織に従って当然だ」と反論する人がいるかも知れない。しかしそのようなことをみんな一人一人が言うようになったとき、僕の目的は実現するのである。よく考えて欲しい。個人の尊重は個人が意思を持つことから始まるのである。みんながこの馬鹿な会長を馬鹿だと思わなくなったとき、個人は消滅する。単なる意思を持たない生きた肉になってしまう。
僕は願う。皆さん一人一人がよいものをよいと、そして悪いものを悪いと言うことのできる意思を持つことを。それだから僕はこの一年間、僕がしてきたことの評価を皆さん一人一人にゆだねようと思う。非難されてもいい。侮辱してもいい。何かを感じて欲しい。そして真の個人であって欲しい。
一年間、僕は多くの個人に出会えることができた。手帳を見る度に一人一人の顔が浮かんでくる。行事で夜遅くまで準備を統けて疲れきった奴の顔、会議で熱心に語る奴の顔、必死にワープロに向かって格闘してる奴の顔、トランシーバーを持って走る奴の顔、行事が終わって泣いた奴の顔、僕と白熱した議論を演じた顧問の顔。アッセンブリーの報告の時に壇上から点の様にしか見えない900人の顔とは全く異なった、個人の顔がそこにはあった。この手帳を閉じるにあたって、それら一人一人の個人に格別の敬意すら感じる。そしてこの回顧録を締めくくるにあたり、こんな会長を一年間支えてきてくれた役員のみんな、学友会スタッフのみんな、高等部の先生方、そして885人の学友会会員の皆きんに心からなる感謝を捧げたい。
この手帳に新しい年が加わる頃、僕はもう過去の人になる。そして大植君と沼君がまた新しい時代に向けて、新しい第一歩を踏み出す。過去の人として、彼らの活躍を願わずにはおれない。

学友会副会長業績報告

学友会副会長 高橋 昌敏

学友会選挙で当選してから、もう一年という月日がたってしまいました。二年の時から書記として学友会にたずさわってきましたが、いざ、副会長になってみると何をしていいのか分かりませんでした。
まず、最初に私学交流会に参加することで、他校の内部状況を知ることが出来ました。と同時に、関学という学枚の自由さも改めて感じることが出来たのを覚えています。
次に、生徒礼拝の説教を行うことが出来ました。どちらかというと、人前でものを言うのは得意ではなかったので、緊張しました。けれど、とてもいい経験になりました。
又、関々戦の準備のために、千刈にて関々戦サミットを開催したこともありました。そのおかげで、関々戦も無事に行うことが出来たと思います。

そして、文化祭。それぞれの役員が各パートに分かれ、皆が与えられた仕事をこなしていたと思います。
この一年間の経験は、これからの将来で何らかの役に立つと思います。自分を磨くのに丁度よい、一年であったからです。そして、会長の能島君。何の協力もすることが出来なかったけれど、僕は能島君と共に仕事が出来たことをとても誇りに思います。この一年間ありがとうございました。
最後になりましたが、顧問の枝川先生には就任一年目にもかかわらず、とても先生を困らしてしまいました。本当に、先生には御迷惑をかけたと思います。それでも、僕達の力になってくれた枝川先生には、感謝の気持ちで一杯です。
来年度の役員の皆さんには、僕達以上に頑張ってもらいたい、そう最後に願うと共に、僕の業績報告を終わらせてもらいたいと思います。

書記

本年度の書記の仕事は、学友会役員の補佐的役割が主であったように思える。根本的に書記は学友会の文書の管理と学友会役員会の話し合った内容をまとめて管理するという仕事をしました。本年度は会長の能島君がかなり仕事をがんばってくれたので、全体的に本年度の学友会はかなり楽に事が進んだと思います。又、時々他の学校で行われる文化祭へ交流をかねて見に行ったりしました。最も苦労した仕事は学友会総会の時でした、総会は人が続々と話していく内容を書くという精神的に大変疲れました。文化祭では裏方として石原君は電気、私、勝都は備品管理を行いました。書記というのは名目上で、かなりほかの仕事をたくさん行いました。
本年度はあまり満足した活動ができずに申し訳ないと思いましたが、我々としては精一杯活動したつもりです。
来期はあまり怠けず会長と副会長をがっちりバックアップして、書記なりの仕事をはたしてほしいと思います。
(勝部 重之)

会計

この仕事をやり始めて、もう一年になる。大きな金銭のやりとりがありそうなものだが、実は、本部費などのわずかな額のみである。
予算配分こそ、多額の数値を相手にするのだが、ほぼ前年度のものを採用した。又、学友会会計の最大の山場は、何と言っても文化祭だと思う。今年は、某会長のおかげで、サークル・有志団体が50を越え、それでも変化の無い予算のために、非常に困った。多くの生徒達に誠に申しわけなかった。
最後にこのルーズな僕を見捨てず、面倒を
見て下きった枚川先生と芝川先生にほ、心から感謝の言葉を述べておきたい。
(三浦 格)

総務第一局

僕は、実を言うと庶務局局長だった。しか
し、仕事はほとんどしていない。役員会もよ
くさぼった。唯一の仕事は文化祭の司会だけ。
クラブが忙しかったのです。(言いわけ)
ごめんなさい。他の役員の皆様、ご苦労さ
までした。
PS F先生、司会の邪魔しないでネ
(松田 泰秀)

総務第二局

能島君から、食堂・保健・図書・風紀の四つをまとめるこの役職に前触れもなく任命された時には責任の重大さを感じて悩まされたが、責任があるだけで仕事は全くなかった。これも、各部長さんがよく働いてくれた御陰である。どうもありがとう。総務第二局長は本年度にできた新しい役所なので、来年これになる人がいれば、その人はもっと仕事を増やせますので頑張って下さい。
最後に、この僕に地位を与えてくれた能島君に感謝します。
(村上桂太郎)

事務局

今年一年、私が生来のなまけけ者ということもあって、仕事をした記憶がほとんどない。
だがこれではカッコがつかないので無理やり挙げてみる。
一、会長選挙の際の開票
・・・これだけのようだ。あとはどうやら精鋭ぞろいの役員達がどんどん仕事をこなしてしまい、事務までまわってこなかった、という事にしておこう。
(木下 忠信)

広報

東中ビデオ撮ってる間、私は7区走ってました (部長・尾鼻)
私、副部長は、部長をサポートしつつ、しっかり仕事をすることができました。満足感でいっぱいです。 (副部長・西尾)
副部長は5区でした。(部長・尾鼻)

渉外

第2回スーパーディスカッション「文化祭は全員参加にすべきか」より交流会に参加。以後約月一回の頻度せ行われるこの交流会にほぼ毎回出席、副部長仲川とともに学友会活動の補助となるように務める。
交流会では文化会、交流会にわかれて行われる。交流会は学友会関連の問題を討論し、文化会では人間的な問題、高校生がよく持つ悩みから社会問題まで話し合う。時としてリベートを用いる。これはある問題に対、是か否か二つのサイドにわかれて、自分の側の主張を立証させようとするものである。
これらの交流会より得られたのものは今年度学友会の運営における過程、精神面で支えになったと感じている。
(関 正和)

図書部

恥かしながら、数々の仕事を受け持ってきた中で、一番役目を果たせなかった仕事がこれであると思います。そう思うと反省してもしきれない程です。といっても、宅間先生すら仕事内容が分からないようでしたので、来年からの図書部長がすべき仕事を定めて終わることにします。
1、2週間に一度、必ずアッセンブリ一にて前に立ち、新着図書の紹介(代表して一冊の内容をくわしく)や盗難防止(本の返却はポストでOKということも)のアピール(結構効果ある)、図書室で行っている特集の話などを行うこと。
2、各高校の図書部が参加する会議(例えば盗難防止の研究会等)に出席し、交流を深めること。
3、図書室や図書サークルと連絡をとること。
4、その他、アンケート等生徒の意見を取り入れること。
以上
(小川 茂樹)

食 堂 部

この一年間、食堂部長は何をしたか? 数回のセルフサービスの呼びかけをしたぐらいで、ほとんど何もやってないねんゴメン。
でも文化祭で、食品衛生のパートでがんばったからいいもん。 仕事は検便パートに名前かえたらぁと思うほど便・便・便まみれの、超ハードな仕事でした。○○○○好きな人は役得・役得。
それにしても、石森ティーチャー朝一番からホットなやつスペシャルサンクス!ほのかにケミカルなニオイがしました。
来年食堂部長をやる人は、しつかりとやって頂戴。おねがいよ。
(関原 隆弘)

風 紀 部

風紀部長として今年一年の業績は、一年を通してトイレでの喫煙の禁止、駐輪場にきっちり自転車を止める事などをアピールしてきた事、そLて文化祭での警備でした。括動としては非常に小規模で、もっと積極的に活動をすべきだったと反省しています。
学校の風紀をより良いものにするためには、風紀部長も含めて学校全体の意識改革から始めなくてはいけない、という事を実感しました。来年の風紀部長には、心の隅にこの事を留めてもらって頑張ってもらいたいと思います。
一年間ありがとうございました。
(原田 良三)

保 健 部

4月から二年生三人で保健局を担当してきたわけですが、結局目立った活動をしないまま次期役員の人に引き継ぐことになりました。今年僕達が行ったのは、一学期の『30円牛乳のアピール』のみです。しかし、この一回の活動に僕達3人と小福先生の力を合わせてがんばったつもりです。
来年の保健・食堂部長の水光君には、僕達よりもっと積極的に活動してほしいと思います。がんばって下さい。
最後に一年間僕と一緒にがんばってくれた
谷川君と細川君おつかれ様でした。
(松村 隆平)

美化委員会

1993年1月26日、僕は美化委員会委員長に任命された。これまで、美化委員の経験さえもない僕に、このような大役が委せられてよいのかと少々考え込んでしまった。結局は能島裕介・学友会会長からの依頼に応えてしまった。
そのようなわけで美化委員長になり、昨年度3学期は大掃除の計画を立てただけで終わ
ってしまった。そして、新年度を迎えた。4月27日に「校内美化意識調査」を実施して、
学友会会員の美化意識を調査させていただいた。1学期も大掃除の計画をもって終わらせ
てしまった。
2学期に入り、僕の公約としてきた「校内美化週間」設置を美化委員会で可決させ、実現させた。これによって一人でも美化意識が高まればと考えていたら、考えていたより効果があったので、実現できてよかったと思っている。来年度以降も、(チェックリスト同様に)続けてもらいたい。
文化祭の机・椅子・長机・教卓管理を、なぜ美化委員会が担当しなくてはならないのか、終わった今でも大きな謎である。文化祭週間中は、本来の美化推進対策を練るよりも、机等関連の業務のほうが遥かに時間的にも労力的にも多かった。それでも、美化スタッフが七名も集まってくれたので、ある程度の困難はスムーズに乗り越えることができた。また、古田先生、後藤先生、神谷先生、その他多くの先生方にもお世話になった。この場を借りて、各氏に感謝の意を表したい。
目下、次期美化委員長ならびに副委員長が選定されようとしている。来年度になれば、彼等も僕と同じ苦労をするわけだが、ここで彼等にひとつの提言を残して、締めくくっておこうと思う。異国の諺に次のようなものがある。
「タダ飲食いは部下に持たないほうがよい。そんな奴は豚箱に入れておいて、太ったところで出荷すればよい」
(浜村 直之)

礼拝委員会

礼拝委員長として、僕がやった事は
+生徒礼拝の手伝い
+アッセンブリーでの祈り
+ゴスペルコンサートの司会
+献血協力・手伝い
以上である。
ナオちゃん、手伝ってくれてありがとう。
(平 英司)

サークル委員会

今年度総会においてサークル規約案が認められ、それによって成立したのが我がサークル委員会です。委員会は運動総部から橋本康輝君、文化総部からは浜村直之君、宗教総部から小川茂樹君、そして学友会からぼく、計4名で6月スタートしました。また顧問として芝川又美先生に就任して頂きました。
活動内容は主に次の通りです。
+持ち上がったサークルが規則に適当かどうかを判断する。
+適当と見なされたサークルを教師会に提案する。
+承認されたサークルの管理を行う。
今年もサークルはいくつか検討したけれども、まだ一つも承認されたサークルはありません。来年はもっとサークル活動が活発になり、高等部がさらに盛り上がった学校になることを期待しています。
(高橋 昌敏)

サービスリーダース

我々サービスリーダースは、3年生3人でスタートしました。今年の活動は野球部の応援から始まりました。夏の大会では、尼崎で行われたせいか生徒の応援も多く、例年にない力強い応援が出来ました。
関々戦においても、関大一高に負けない応援をしたつもりです。そして、アメリカンフットボール部の試合にも出向きました。
今年は、昨年よりも各クラブが強くなり、応援の回数も増えたように思います。来年はさらに応援も増えるでしょうか。
期待のホープ、田口君には頑張って欲しいと思います。
(高橋 昌敏)

クラブハウス管理委員長

今年は、はっきりいって何もしていませんでした。アメリカンの仕事が多忙だったかもしれませんが、本当に申しわけなく思います。
さてこれは改善して欲しいなあということを記しておきます。
*物は大事に扱うように。特に、ガラスの 破損、蛍光灯の破壌が多かった。
*グラウンド側のシャワー室に入る時は、泥を落として欲しい。排水口が泥でつまると取りにくい。
*電気のショートが多かった。電気の許容 量が少ないから、電気の節約に徹するように。
最後に、クラブハウス周辺をきれいに掃除して頂いた、労務の高橋さんが、十月に退職されました。クラブハウス管理委員長として厚く御礼申しあげます。なお本来は、部の持ちまわりで掃除するようになっています。今後は、クラブハウスを使うみんなが掃除するように、みなさんの御協力をお願い知る次第です。
(木村 智明)

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