1994年度 学友会報告

(マスタリー第17号p144-150より)

1994年度学友会役員

:顧 問:枝川 豊  芝川 又美
:会 長:大植 祥弘
:副会長:沼 友和
:書 記:佐々木 真人  久下 竜一
:会 計:谷川 夏樹
:シンク・タンク部長:飯森 良光
:シンク・タンク書記:室谷 龍太郎
:幹事会幹事長:広沢 和也
:幹事会幹事書記:富田 真史
:幹事会幹事副幹事長:秋山 明寛  高良 和泉
:アッセンブリー委員長:花房 政寿
:アッセンブリー副委員長:竹部 鉄平
:クラブハウス管理委員長:海蔵寺 寿之
:クラブハウス管理副委員長:浮田 大
:マスタリー編集局長:中井 太郎
:サービスリーダーズC:津川 剛久
:子供会C:中前 智光
:文化祭執行委員長:中前 智光
:文化祭執行副執行委員長:藤永 俊之
:クラス委員会C:尾城 信雄  松田 均
:クラス委員会委員長:西川 彰一
:クラス委員会副委員長:上田 耕次
:美化委員長:松本 圭嗣
:美化副委員長:浜 秀和
:礼拝委局長:鈴木 契
:礼拝副委員長:田口 貴裕
:宗教総部長:黒滝 直樹

学友会会長

大植 洋弘

長 い 夢
一九九五年一月十七日、午前五時四十六分、僕は長い長い夢から覚めた。あたりを見回してみれば、それは僕が今まで体験したことのない世界だった。飛びかう悲鳴、叫び声、鳴り響くサイレン。はじめ僕はどうしてこの世界にまよいこんだんだろう。はやくもとに戻らなくてはと思った。しかし時間が立つにつれ現実という、厳しくつらい状況を受けとめなければならなかった。そして又生きなければならなかった。
体力のある者は救援活動をした。僕もその一人だった。救援活動の為いろいろな所をまわった。しかしもうそこには慣れ親しんだ風景はなかった。がれきの中にはまだたくさんの人が埋まっていた。知人とわかっていても助けることができなかった……。
夜、電気がつかないのでろうそくをつけ、そのまわりで皆で寝た。僕はろうそく替えの当番だった。ろうそくの炎をみつめながら長い長い夢のことを思い出した。
——僕は関西学院中学部で学び、そして高等部に上がり高校3年生の時は生徒会長になっているという夢だった。
僕が会長としての一年が始まろうとしていた。僕が会長になったのは、学校を変えたいとか言うような大それた気持ちはなかった。きっと何かを自分自身の中で呼びさましたかったからだろう。でも何かわからない。僕はその何かを見つけるためにすべてに対し全力でぶつかった。その中には、友人とのケンカ、先生との討論、親との争い、心の中の葛藤、感動、悲しみ、様々なことがあった。しかしどれをとって見ても楽しいと呼べる日は一日たりとも感じたことがなかった。でも自分の中で何かが目覚めつつあるような気がしていた。でもまだわからない。どうすればみつけられるのだろう……そんな事を考えているうちに一年が経った。最後の日の引き継ぎ式の時に自分は会長になる前に出合った言葉を思い出していた。
「理想に向かって日々努力しなければならない。理想は現実を変える力をもたなければ理想とは呼べない。」僕ははじめこの意味がわからなかった。しかし自分のいだいていた理想に向かってただひたすら走った。走っても走ってもその時はまだ追いつくことはなかった。——
ろうそくの火が消えそうだったので新しいものにかえた。また明るくなった。その時僕はこの数日間の自分の行動を考えた。そこには、人を肋けようとかいう気持ちの前に体が勝手にうごいている自分があった。
「そうかこれだったのか。」僕ははじめて自分の中で一月十七日を境にある何かが目覚め、そして光り輝きつつあるとその時実感したと同時に、やっと理想にたどりつけたと思った。なぜなら、どういう形であったにしろ自分の目の前で大きく現実がかわったからだ。僕が一年間頑張って事は無駄ではなかった〜〜〜〜。
目が覚めた。今日は水くみだ。
夢から覚めた今でも僕の耳のおくでこだまする言葉は〝マスタリー・フォー・サービス″だった。
(追記)この度、阪神大震災に被災された方々に慎んでお見舞い申し上げます。
僕は神戸市東灘区に住んでいましたので被災の直後はすごい砂けむりと悲鳴でたいへんおどろきました。又、阪神高速が落ちた所まで7分のキョリの所に自宅がありましたから
3分後ぐらいにもう一度ドスーンという音がしたのを今でも覚えています。この地震を期
に僕の価値観も大きく変わりました。人の命の大切さ、自然の驚異、日頃のあまかった考、え、生き方、この数日間で様々なことを体験しました。
しかし、このような状況であるからこそ強く生きていかなければならないと実感しました。ここにも書かせていただいたように、心の中のろうそくの火を絶やすことなく、これからもより高い理想に向かって頑張っていこうと思っています。
最後になりましたが、一年間お世話になった部長・副部長先生、並びに先生方、食堂の方々、図書の方々、事務の方々、労務の方々、そして関西学院高等部のみんなすばらしい3年間をどうもありがとうございました。

学友会副会長

沼 友和

副会長を振り返って
副会長の公約を言ってからはや一年が過ぎました。振り返ってみると自分なりに頑張れた事、努力が足りなかった事などいろいろありました。副会長は、楽であると言うイメージが強いですが、そんな事はないと言う事がよくわかりました。
やはり、一番辛かったのは、学友会活動とクラブ活動との両立の難しさでした。クラブは休めないし、かといって学友会の集まりに出られないと進行状態が把握できません。何とか出られる集まりは出て、出られない集まりは他の役員に内容を聞いてこなしました。その中で、「さぼっている」と言われた言葉はかなり精神的なものがありました。確かに集まりに出られないと意見を述べる機会がないので、他のメンバーにとても迷惑をかけたと思います。クラブ引退後は、集まりにも顔を出すことができ、文化祭、エイズのためのチャリティーバザーなどの活動にも協力できました。
文化祭では、新しい金券制導入や文化祭日程などにより早い時期から集まって、意見の交換を夜遅くまでやった事はとても印象に残っています。文化祭前日に学校に泊まり込んでまで作業に専念した事も忘れられません。エイズのためのチャリティーバザーでは、
細かな作業をし、当日はバザーの販売を朝から夕方まで昼御飯を食べる事も忘れて行いました。文化祭、エイズのためのチャリティーバザーなどは、みんなの協力により成功をおさめたと感じます。他のメンバーが、もりたててくれたおかげでこんな立派な活動をする事ができたと思います。
僕が、主に中心となって行ったのはサークル委員会です。生徒の皆さんは、サークルというのになじみがなく、何度かアピールはしましたがまだサークルを知らないという人も中にはいると思います。クラブの小さいものであるサークルは、今年だけで軽音楽サークル、総合情報文化サークルが正式に認められました。サークル新聞を作ったりともう少し幅広い形でサークルを取り上げればよかったという後悔もあります。ぜひ次期サークル委員の人には、サークル活動を学校中に浸透させていってほしいと思います。
また、新入生歓迎会、総会、文化祭開閉会式などの司会をすることも多かったです。司会と言う大役をこなしてこれた事や司会の楽しさなどを身をもって感じられた事は、とてもいい経験になりました。
副会長らしい事は、充分にできたとは思いませんが、自分なりに努力して頑張ってこれたと思います。学年で一人しか味わう事のできない副会長の仕事ができたことは、とてもよかったです。この素晴らしい体験を一生忘れずに後の人生に役立てていきたいと思います。
学友会の皆さん、全校生徒の皆さん一年間有難うございました。学友会にたずきわって下さった諸先生方、本当に有難うございました。
井上君—’95の副会長として会長の山本君をサポートして頑張って下さい。心から応援しています。

書記

佐々木 真人

僕は、今でも思うのだが自分みたいなのが学友会役員になるとは思ってもいなかった。会長に、「書記やってくれ」と言われた時も、クラス委員すらやったことのない自分にそんなたいそうな役できるわけないやんけ、と思っていました。しかし、自分も少しはそういう仕事をやってみるのもいいかもしれないなと思ったし、大学推薦に有利だという事もあってか、書記をひきうけることにしました。
書記の仕事というのは、読んで字のごとく主に会議の際のノートを取ることです。そのほかの仕事として、僕はステージパートの責任者という仕事をしました。この仕事が僕にとって一番大きかった仕事です。バンドや音楽関係の事は全くの無知で、何をやっていいのかわからず、先生方や役員には大変迷惑をかけました。しかし、途中から藤村君が加わってくれて、どうにか成功をおさめることができました。
この一年間、学友会役員という大きな仕事をしてきて、色々な経験ができたと思います。確かにしんどかったけど、仕事をした時の充実感はとてもよいものでした。書記という仕事をした事は、とても貴重な経験になると思います。一年間、協力して頂いた先生方や役員の人達には心から感謝したいと思います。
みなさん、おつかれさまでした。

久下 竜一

学友会書記という仕事を与えられてそろそろ一年がたとうとしている。
はっきりいってこの一年はしんどかった。
はじめの頃は、役員会の議事録を取っていたが、文化祭前になると、書記としての仕事がなくなった。そのかわりに、他の仕事が色々舞い込んできた。
書記というのは、名前ばかりで何の行事でもフルに仕事をする「なんでも屋」なのである。
はじめ学友会会長から書記をやってくれへんか、といわれた時は、正直いって部活もやってるし無理やろな、と思っていた。けど一年たった今、かなりしんどかったけど、多くのものを学んだと思う。
一年間指導して下さった枝川先生、松浦先生、芝川先生どうもありがとうございました。大変御迷惑をかけました。

会計

谷川 夏樹

知る人ぞ知る事だが、僕はかなりいいかげんな人間だ。そんな僕が学友会の会計を担当したのは、青空に浮かぶ蜘昧のように無気味なことである。文化祭で金券制を導入するなんてもってのほかだが、今年の文化祭執行委貞や学友会本部役員の勢いに乗せられつつ金券制を前向きに考えだした。
しかし、実際に新しい事をするというのは想像を12回超えるくらい面倒なことで、本当に多くの人達に協力してもらった。特にT君、立派な原案をありがとう。そして全校生徒の協力もカツコ良かった。高等部生がたまに見せる団結力が好きだ。先生方にもずい分お世話になった。
最後に一つ言わせてもらいたい。
「遊び人でもいい。ポリシーを持て」

シンク・タンク

飯森 良光

みなさんはこんな機関が学友会にあったことはあまり知らなかったでしょう。このシンク・タンクは今年新しい機関としてできたものでした。部長・書記・書記補と一年〜二年
まで各3名ずつの部月によって構成され、主に毎週金曜日の昼休みにミーティングを行い
ました。シンク・タンクは学友会役員会直属の企画立案機関で、それと同時に学友会本部並びに各議決機関の活動を支える独立した諮問機関としてスタートしました。部長がシンク・タンクを代表し学友会の各議決機関の会議へ出席し、そこで取り上げられた諸問題のうち、特に話し合う必要の有るもの、もしくは特に要請のあったものに限り定期的に行われるシンク・タンクミーティングにおいて部員に答申案を考えるように伝達する。そして討議しそれを役員会へ提出する。つまり主に慣例行事の運営方法や内容などをあらゆる角度から再検討したり、新行事の企画などを考え役月会にその討議した結果を提出する所でした。
しかし残念ながら今年が初めてということもありうまくこの機関は活躍することができませんでした。それは各機関からシンク・タンクに対して答申を求めるということがなく、行事の企画・運営などを時間に余裕がないためすべて学友会が進めていったためでした。
エイズのためのチャリティーバザーの原案として新企画の実現は見られましたが、新企画を考えるのは難しくかなえられないものでした。シンク・タンクは役員会直属の機関でしたが役員会の出席は部長と書記のみであったため、部員と学友会役員とのコンタクトがうまくとれず意見のくい違いなどがありました。各学年・生徒の意見をくみあげようとするすばらしい考えからできた新機関でしたが、うまく機能できなかったのは残念でした

幹事会

広沢 和也

「幹事会」というのは、前年まであった「食堂・保健担当」や「図書担当」その他
「庶務担当」などといった役割をその中に取り込みながら、それと同時に「幹事会」として学校活動全般に関わってきました。幹事長である僕の不手際で、幹事会のメンバーが変わったり、また各メンバーの役割が不明になることがあったことを大変残念に思っています。
さて今年の幹事会の活動についてですが、今年の我々の活動が必ずしも当初求められていた通りのものか、と言われれば、それには疑問が残ります。その大きな理由は、「幹事会」としての確固とした形をもつことができず、役員会の一部分となってしまった所です。
しかしその分多くの行事の中で、幹事会のメンバーがその中心となることができたことは、ある意味で成功といえるかもしれません。
最後に、幹事会のメンバーを紹介します。
(幹事長)広沢、(副幹事長)秋山と高良、(庶務担当)部長富田と副部長辻、(食堂・保健担当)部長水光と副部長為近、(図書担当)部長吉井丈裕と副部長居内。この計9人
でした。僕があまり働かなかった分、他の8人のメンバーは本当によく働いてくれたと思
います。彼らはまさしく、今年の学友会活動の中心だったと思います。本当に御苦労様でした。

アツセンブリー

花房 政寿

私、アッセンブリー委員会委員長を務めさせてもらいました花房と申します。
ところで元野球部キャプテンの勝野君が私に何か質問があるようなのでお聞き下さい。 勝野『一年間おつかれさまでした。』
花房『いえいえどうも。』
K 『ところでどんな仕事しとったん?』
H 『えーと、あのー。』
K 『もしかして仕事してなかったんちゃう。』
H 『アホ!!仕事しとったわ。』
K 『でも司会進行のうち合わせをしてなかったやろ。いっつも直前まで大植まかせやったからなぁ。』
H 『アホいえ、飯森まかせや−ゆうねん。』
K 『さて、次期アッセンブリー委員長に一言。野球部打ち込み許して下さいませ。』
H 『いや。』

クラブハウス管理委員会

業績報告書

1 クラブハウス管理に関する条項の作成
2 各部のキャプテンに部室に関する要望を聞く

来年の人に望むこと

1 早い時期から活動計画を立てて行動した方がいいと思う。
2 各部室の問題点を聞くだけでなく実行に移してほしい。
(海蔵寺寿之)

サービスリーダーズ

津川 剛久

今年のサービスリーダーのメンバーはエール・吉田建吾、団長・津川剛久、声だし・本地弘幸、松下恒幸、太鼓・田口といたが、みんなよく頑張ったと思う。でも学ランがなかったことがとてもくやしく思う。丹羽先生の話では、団長のだけ学ランを着て他の部員はトレーナーということになっていたが結局みんなトレーナーになってアッセンブリーでも着ることもなくなってしまった。当初の予定では部費でスーパーファミコンとクーラーを買って部室につけようとしていたがそんなこともできなかった。主な活動としては関関戦だった。関大のカイザーズは部員も多く応援では負けまくっていたし団旗があれでは勝ち目はなかったと思う。
来年のサービスリーダーは関関戦の時にカイザーを上回る位、頑張ってほしいし自分達で部員をふやしてほしいと思う。
本当に丹羽先生にはお世話になりました。

クラス委員会

西川 彰一

僕は一年生の時からずっとコミュニティーをしてきたが委局会への集まりは今年が一番悪かったように思う。僕自身もアメリカンフットボール部に所属していて学友会の役員会に出席できない事が多かった。そのため、役員会の方針や考えが分からず、かなりしんどい思いをした。
本来、クラス委員会は役員会にも劣らない立場にあるのだが、今年はなにかと役員会に対して受け身になってしまった。今年のクラス委具合は役員会の決定をクラスに伝えるためだけの集会であったような気がする。今年は、ふるわなかったが来年はクラス委員会が本来の強い権限をもてるように頑張ってほしい。
クラス委員長は各クラスの代表であるコミュニティーをまとめるという厳しいものだ。性格のおとなしい人にはクラス委員長を努めるのは難しいかもしれない。しかし、難しいゆえにやりがいのある仕事であると思う。今、終えてみて、このクラス委員長を努めて本当に良かったと心から思っている。
最後に指導して下さった松田先生をはじめとする先生方、そして副委員長の上田、書記の塚崎君、それから力不足の点も多かった僕についてきてくれた各クラスコミュニティーのみんなに心から感謝します。
PS 頑張れDEFFENSE BACK!
我がHIGH・FIGHTERSは、
永遠に不滅です!

美化委員会

松本 圭嗣

気がつけば学友会に入って一年たったわけだが、今までを振り返ってみても何をしてきたのかいまいちわからない。別に新しい事を始めたわけでもなくただ今まで通りのことをそれなりにこなしただけである。
さて美化委員会だが最近では活発さがなくなってきているといわれている。確かに月一回の定例委員会の出席状況はひどいものである。無論これは自分の力不足によるところが大きいが、各委員が自覚を持っていないこともあると思う。美化委員はクラスの代表なのだからもう少ししっかりしてほしい。
今年一年間やる気のない委員長だったような気がするが来年の委員長になる人はこうならないように頑張ってほしい。最後になりましたがこの一年間協力して下さった顧問をはじめ諸先生方、又副委員長の濱君や働いてくれた委員の方々、本当にありがとうございました。

礼拝委員会

鈴木 契

礼拝委員長はいろいろある偉そうな名前のついた役職のなかで一番楽です。定期的な仕事はありません。まあ強いて挙げるとすればアッセンブリーのお祈りでしょうか。
大きなイベントは「花の日礼拝」「ゴスペルコンサート」「献血」「クリスマス礼拝」でした。特に大変な仕事はありませんでした。 もし君が学友会活動には興味はあるけれどあんまり仕事はしたくないというタイプなら礼拝委員長はお薦めです。
松浦先生、津先生、池内先生どうもありがとうございました。

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