1996年度 学友会報告

(マスタリー第19号p174-184より)

1996年度学友会役員

:顧問:枝川 豊  後藤 稔
:会長:森山 隆一
:副会長:森 正義
:会計:三井 誠  大西 威之
:書記:橋本 崇  高見 健一
:事務部長:近藤 健太
:管理部長:東村 純
:企画部長:井上 幸治
:広報部長:山口 典彦
:運営部長:池永 正宏
:クラス委員長:桝井 康寛
:美化委員長:松崎 博信
:礼拝委員長:田中 将太郎
:子供会委員長:村瀬 恭史
:文化祭執行委員長:田中 将太郎
:宗教総部長:大塚 茂晃
:文化総部長:村瀬 恭史
:運動総部長:田淵 洋一

学友会会長 森山 隆一

学友会報告

この一年間、学友会活動を通じて今僕が思っていることを素直に書きたいと思う。
一九九六年度は学友会員の意識が徐々に高まって行った年であった。三年前、もちろん僕は高等部にいないので聞いた話なのだが、アッセンブリーは出席者が少なく、コミッティーは週に一度かろうじて集まる程度で、全ての行事に対して生徒の意識は低かったそうである。その点、去年から今年にかけては学友会が生徒とあまり離れていなかった、という印象を受けている。このように学友会が興隆の波に乗っている時に会長を勤めたわけだが、それから半年あまり自分は会長としての器だろうかと考え続けた。それは、去年の会長山本さんを間近で見ていたからであろう。二・三年生は知っていると思うが、山本さんは実に理念と行動力を持っている人だった。学友会活動において、理念だけ、行動力だけ、という在り方ほど意味のないものはない。俺は関学をこういう学校にしたいんだという強い理念を抱いていない自分に対して、長い間プレッシャーを感じていたのだが、総会、関々戦、文化祭と行事を重ねる過程でそれが形成されていっても良いのではないかとその後思うようになった。
なぜ僕が学友会活動をしようと思ったのか。そんなこと聞きたくない人もいるだろうが、これから学友会を担ってゆく多くの後輩達のためにもここに残しておこう。それは二つある。一つは受験のないこの関学で、勉強以外の好きな事を伸び伸びと自由にできるこの類稀なる幸せを、学友会活動で感じようと思ったからだ。三年生を含めた九百人全員で行事に取り組む事ができ、先生方が生徒を大変尊重して下さる。こんなにやる気の出る環境は他の学校には絶対ない、と昔も今も思っている。そして二つ目は、学友会活動を通して自分を大きくしてやろうという大変利己的な理由である。一年前の自分と今の自分、どこが違うのかと問われれば難しいがそれでも分かった事はあるので二、三、ここに書いてみようと思う。
一つは、頭で知っている事と経験して体で覚えた事とは全く違うという事である。物事を行う上で準備は大切だ。こんな事は言われなくても分かっている、と言いたくなるがこの言葉の意味は準備不足で失敗してみないと分からない。直接体験が現代の子供には少ないと危惧されているが、頭で分かっているだけでは本当に意味がないという事を痛感した。
二つ目は、これはクラブ活動等においても言えることだが真の友人ができるという事である。俺は学友会を良くしたいんだ、俺は文化祭を成功させたいんだ、と同じ志を持った友人と共にその夢に向かってつき進めた事は貴重な経験であり、その友人達によって心から学友会活動が楽しいと感じる事ができた。学友会は強制力のない組織である。帰りたければ帰ればいいし、やりたければやればいい。その上でめんどうくさい事も楽しい事も共有していくわけだから、人間の深い部分でつき合う事ができた。協力、信頼、責任、という人間にとって重要な事を友人から教わった。
全くもって一年間の感想のような学友会報告になってしまったが、これを読んで少しでも多くの人が学友会活動に興味を持ってくれれば、僕にとってこれほどうれしいことはない。最後に一九九六年度学友会を共に支えてくれた友人達、いつも親切で的確なアドバイスを下さった桂川先生、その他協力して下さった先生方に心から感謝して、学友会報告とする。学友会よ、ありがとう。

学友会副会長 森 正義

関学への期待

早いもので、僕が副会長に就任してからもう一年がたとうとしている。「何をやったか?」と問われても、説明するのが面倒なくらい色々な事をしたと思う。そして、それは高等部生活の最後の一年を、充実したものにしてくれた。
高等部には色々な行事があるが、それを執行しているのは全て学友会である。そして、その核となって動くのが役員であり、僕も役員の一人としてほとんどの行事に関わらせてもらった。その中でも感銘をうけたものを挙げていきたいと思う。
まずは子供会だ。この行事は神戸女学院高等部の生徒と協力して、有志の者が集まって行われるものだが、これには疲れた。僕は副責任者というポストでこの行事を運営したのだが、高等部外の人達と連絡をとり合わねばならないので、非常に面倒くさかった。まず何よりも、施設の意見を最重要視し、それから、神戸女学院とコンタクトをとり話を進めねばならなかった。関学で有志を募ると、すぐに定員に達したのでうれしくなって、やる気がでてきた。当日も子供達が楽しそうにしているのを見ると、疲れも忘れてうれしい気持ちがこみ上げてきた。また、新しい試みとして施設への訪問も続けられることになったので、これもうれしい限りであった。
六月には総会を手掛けた。責任者だったのですごくプレッシャーがあったが、周りの人の支えもあってなんとかできた。今年はディベートをやってみた。これの主旨は、みんなにもっと高等部の事を考える時を持って欲しいというものだった。ディベーターの人達もがんばってくれたので、初の試みにしてはまずまずの出来だと思った。議題に関しては、あまりパッとしたものがなかったように感じた。高等部で最も重要な意味を持つものがアッセンブリーと総会だ。生徒の手で学校が創られていくという、まさに伝統と誇りの行事なのだ。この意味を考える人が増えてくればもっともっと良い総会になっていくだろう。
そして学友会最大行事の文化祭だ。執行委員が一丸となって動くことができた。文化祭も強い団体が多く、各々が自分の得意分野で活動することができていたと思う。〝自由で個性豊かな関学″を見事に表していたと思う。〝関学高等部生全員の文化″祭だったと思う。
その他にも関々戦やエイズ展など、数々の行事があるが、それぞれに関学の持ち味がだせたと思う。伝統の上にアイデアをのせて、次世代の関学への期待と希望がふくらむものになった。これは決して役員や執行部だけの力ではなく、生徒全員の心だという事実に目を向けなければならない。そもそも、行事というのがどのようなものになるかというのは、それに参加した人達のムードによって決まるものだ。その事を考えると、この一年間の学校の歩みというものはまさに生徒の心。関学という特に生徒の力が強い学校なら尚更である。そういった事実を前提に今年一年間の高等部のムードを考えてみると、僕はこれからの高等部に期待せざるを得なくなる。就任した当初は頭を悩ませた。「こんなにバラバラな生徒をどうやって一丸となすのか?」はっきり言って不可能に思えた。「ほどほどにしとけばいいか」とも思った。しかし、いざ仕事を始めてみると、色々な関学生の個性が見えてきて楽しくなってきた。みんなそれぞれに好きな事があり、自分の活きる世界を持っている。「なんと楽しい奴らだ!なんと楽しい学校だ!」と思うようになった。この楽しさをみんなにも教えてあげたいと思うようになった。自分の世界だけでは、高等部生活を楽しんだ事にならないのだ。その事をみんなに伝えるために、新しい企画を盛り込んだのだ。先輩方が創りあげてきた土台がある。生徒が一丸となる準備が整ってきた。そして、僕等の世代で関学の新たな可能性に踏み出すことができたのだ。不安もあった。どちらかというと、絶えず不安の方が大きかった。しかし大きな行事が終わった後には、いつも充実感と安心、そして期待があった。みんながみんなそれぞれの個性を発揮し、また友人や先輩・後輩の姿を見つめ、激励し賞賛する。こんな関学高等部の姿を見て期待しない人はいないだろう。そして僕は、このすばらしい学校で副会長をしたという事を永遠の誇りとするだろう。「全校生に支えられた」とは決して言わない。「全校生と共に歩んだ」のだ。
この一年間色々な人と知り合うことができた。みんなすばらしい個性を持っている人達だった。彼等と共に活動をし、僕は色々な事を学んだ。もうすぐ僕の高等部生活も終わりを迎える。ガラにもなく寂しさを感じる今日この頃であるが、一つだけ確信を込めて言っておきたいことがある。「関学の可能性は計り知れない!!」ということだ。

会計 三井 誠

学友会会計

去年の二学期の終わり頃、会長の森山に突然、「会計やってくれ」と依頼された。ぼくは、中学部でもアルバム委員をしただけだったし、高等部でも一年の後半に礼拝委員をしただけだったので、意外だった。まさか、自分が学友会役員になるとは……。何度も断ったが、森山と森に押し切られ、引き受けることになってしまった。
仕事の内容も、前任の富岡さんからうかがったが、ハッキリ言ってチンプンカンプンだった。今年は会計が二人になったので、仕事は楽になるだろう、という安易な予測に欺かれたと言ってもいいかもしれない。
とりあえず、会計の主な仕事について記すことにしよう。
第一に、今年度の学友会予算の決定・前年度の学友会予算の報告をした。この時に、結構というか、かなりずさんな予算を組んだため、後で泣きを見る結果になってしまった。このことについては、後述する。
第二に、クラブ活動補助費の支給をした。これは、近畿大会以上の大会に出場したクラブに支払われ、今年は、水泳部、サッカー部、馬術部、陸上部、ヨット部などが該当した。これは、楽な仕事だった。
第三に、文化祭関係の仕事があった。今年は、文化祭とエイズ展が共催だったため、もう一人の会計の大西がエイズ展にかかりきりになってしまい、ほとんどの仕事を自分一人でやった。しかも、会計と金券スタッフの両方の責任者になった。さらに、人数調整の都合で、会計と金券のスタッフがいなかったのも、追いうちをかけた。二学期が始まってすぐに活動を開始した。最初は、文化祭の会計や金券制度に関するプリントづくりだった。何度も内容を変更したため、これにかなりの時間を費やした。次に、金券の発注を行った。そうこうしているうちに、文化祭週間に突入した。文化祭週間に突入してからは、毎日七時頃まで学校で作業をしていた。家に帰る時間も遅くなったので、体調を崩してしまった。この間にやった仕事は、ここに書き切れないほどに多いので、省略させてもらう。そしていよいよ文化祭当日、今年も三年連続、どこにも行けず、とても疲れた。文化祭の仕事での一番の失敗は、スピードくじの作りすぎだった。スピードくじは、文化祭執行委員以外にも各スタッフの責任者やエイズ展の人たちに手伝ってもらったが、半分以上使わずじまいで、今も学友会室にその無惨な残骸が健在である。文化祭が終われば、会計以外のスタッフは仕事がなくなるが、この原稿を書いている今も、片付いていない、もうすぐ、新役員への引きつぎだというのに……。今では、「大蔵官僚」という全然ありがたくない役職名も頂戴して、多くの人に「金返せ」と言われる日々が続いている。まあ、もうすぐ仕事から解放されるだろうが……。
そして、来年の会計を引き継いでくれる人へ。とりあえず、予算は早めに決めること。また、赤字を出さないように(今年は関々戦・文化祭などが大赤字だった)。しんどく
て、面倒臭い仕事だったけれど、仕事を終えた後の充実感はあったと思う。まあ、頑張れ!
最後に、色々と助言して下さった後藤先生、枝川先生にこの場を借りて、お礼を述べたいと思う。また、色々と手伝ってくれた学友会役員、文化祭執行委員のみんな、ありがとう。どうも、一年間お疲れ様!

会計 大西 威之

「会計」を終えて

僕がなぜ、会計の仕事をしていたのか、今でもたまに分からなくなる。なぜなら、僕は小学校でも中学でも委員をしたことがなかったからだ。つまり、高校に入学した時点で、委員歴ナシであった。小学校でも中学でも、委員をやる気は全くなかった。むしろ、委員になることから逃げていたくらいだ。しかし高校に入って考えが少し変わった。理由は分からないが、いろんな事に挑戟しよう、という決心をした。ちょうどその時、体育委員をやってくれないか、と言われた。初めは、例の拒絶反応が出て嫌がったが、結局いろんな事に挑戦しょうと決心をしたことだし、引き受けることにした。大げさかもしれないが、これは自分にとって大きな変革であった。そして2年になって気付いてみれば、僕はコミ
ティーになっていた。その時、コミティーの仕事にちょっとした充実感を感じたことを覚えている。こうした、「自分」の急激な変化に自分でも驚いていた。
高2の12月、僕にとってさらに大きな変化がやってきた。学友会の「会計」をやってく
れないか、と言われたのである。去年までは「会計」は1人だったが、1人では辛いということで、2人目、正式には「会計補佐」として任命されたのである。やってくれないかと言われた時は、あまりにも仕事が大きすぎたので、僕には無理と断った。しかし、何度も頼まれたので、年明けの1月に引き受けた。
僕の主な仕事は、学友会などで物を買う時、立て替えておいてもらうのだが、その分のお金を学校に払い出し請求をすること。この仕事は、機能的に問題があり、払い出しがかなり遅れた。迷惑をかけた人には、この場を借りてお詫びします。また、その他の仕事は、〝もう1人のよく働く会計″の手伝いをすること。そして、会計に関係なく、学友会の中のいろいろな仕事である。今考えてみると、会計の仕事よりも、その他の一般の仕事の方が、〝僕の場合″多かった。あまり「会計」の助けにはなっていなかったことを反省している。
学友会の仕事をしていて、とてもうれしく思ったことが何度かあった。最初にそう思った時は、新入生に対するクラブ紹介の時で、僕は照明・音響係をしていた。そしてこのクラブ紹介は、新学友会にとって初めての大成功であった。僕はこの行事に深く関わっていたので、うれしさや充実感は人一倍であった。その後も、いろいろな行事に関わってこの仕事ならではの充実感を味わった。それは、今まで学校のために働かなかった自分にとって貴重な体験だったと思う。
僕は、ほんの少しだけど学校の役に立てた。でもそれは塵よりも小さいかもしれない。それでも、この経験を胸にこの学校を去れることを誇りに思っている。任務終了。

書記 橋本 崇

TAKの野望

九五年のクリスマス。留学先のニュージーランドからオーストラリアに休暇で来てた私に、一本の電話があった。
「書記になってくれへんか。」
当時、新年度学友会会長になったばかりの森山君からであった。こうして私の書記としての生活は始まったのであった。
帰国後、私はやる気に溢れていた。NZで体験した行事をできるだけ関学の中に取り込
もうとした。その一つが「ボール」(米では「プロム」)と呼ばれるダンスパーティーで、普段は厳粛な空気に包まれている講堂も、その時ばかりは派手な装飾に彩られてディスコと化す。マイ・スクールは男子校だったが、その日の為にパートナー(主に恋人)を見つけるのだ。男なら、ほとんどがタキシード。女は見るも鮮やかなカラフルな衣装をまとい、それはさながら映画の一シーンのようだった。
しかーし、できなかった。何故か?
一つは、時間がなかった。この学校は行事が少なめだが、そのほとんどを学友会が運営
しているので、予想以上に忙しかったのだ。
二つめに、場所がなかった。礼拝堂でやるにはスペースが狭すぎるし、体育館でやるには無理がありそうだったから。
最後に、私の意欲が失せてしまった。しかも知らん間に。それは、おそらく他の行事の仕事の為だろう。それが、関々戦であった。
関関戦。時に「関々戦」などと書き、「どっちが『々』やねん!」ともめることもあると噂に聞く。
約20年の歴史を誇るその関関戦が、今年、大きな変革を遂げた。例年の「一日で全競技を行い、皆は自由に観戦する」というのを、「当日に一つの競技だけを行い、皆で観戦」という新方式に変えたのであった。
関大側との協議は難航した。まず、我々が提案した新方式に真っ向から反対。激しくもめた後、関学が今年のホストだからという理由で、新方式採択。それから何度も会議をし、西宮スタジアムに足を運んだ。まさしく「0からの出発」であり「手作りの関関戦」であった。
当日、予想通り(?)式の進行過程でミスがでた。だが、そんな小さなことは、もう気にもならなかった。自分に満足してた。
今考えてみると、これは自分のエゴだったかもしれない。野球部以外の連中は、応援がほとんどいない中、戦った。批判もあった。しかし、やってみたかった。これを新しい伝統にしたい、というよりかは、とにかくやってみたかったんだ。

最後に、一年間お世話になった友達や先生、ありがとうございました。
そして、これからも長くよいお付き合いを。

書記 高見 健一

書記

僕が学友会役員の書記の仕事について約一年が過ぎ、ついにその任務が終わろうとしています。二年生の時に文化祭執行委員として文化祭に参加したり、エイズのためのチャリティーバザーなどの学友会行事に参加し学友会というものにもともと興味を持っていました。だから、この一年間というのは本当に充実したもので、またあっという間でした。しかし、はっきり言って楽なものではありませんでした。あっという間の中にたくさんのことがつまっています。
書記としては会議の議事録を取ったり、初めのうちはしていましたがすぐにその書記としての枠を越えた仕事がまわってきました。まず最初にしたのは春の子供会です。春の子供会では、子供が外でまとまって遊ぶときに何をするかを決め、そしてその運営を行いました。また、今年の初めのうちから二年前から始められたエイズのためのチャリティーバザーの責任者につき、神戸女学院、聖母被昇天の責任者の人達と何度も会議をもって今年はどういうふうにしていくかを話し合いました。そして今年は去年、おととしみたいにバザーを表に出すのではなくできるだけ展示を前に出していこうということになり名前も新たにエイズ展96’とし日時も例年11月23日に行ってきたのを多少規模は小さくなるけれども一人でも多くの高校生に見てもらいたいということから11月4日の文化祭の日に変えました。またもっと高等部の生徒にも知ってもらおうとホームルームの時間を使ってビデオを見てもらいました。僕が学友会役員として一番大きくそして多くの時間を費やしたのがこのエイズ展96’の責任者という仕事です。この企画は関学が主催ということで行っているので自動的に三校のトップというのにもなってしまうわけです。やはり、他校の人達と一緒に何かをするというのはとても大変でした。日程を合わせるのが一番最初でしかもそれが一番しんどかったです。このエイズ展96’の責任者についたせいで文化祭の仕事もろくにできず他のメンバーには迷或サをかけましたが、文化祭の日に完成した展示を見て、よかったと心から思いました。
書記、学友会役員として過ごした一年というのは18年間生きてきた人生の中でかなり、中身のつまった一年であったように思います。また高等部を卒業しその後の人生の中でも、忘れ難い一年になるであろうと思います。最後になりましたが一年間、協力して頂いた先生方や役員の人達には心から感謝したいと思います。そして一年間僕を見守ってくれ、ありがとうございました。

事務部長 近藤 健太

はじめまして。学友会郵便係イル・ポスティーノ事務部です。郵便係といっても切手をはって何かを郵送したわけではなく、学友会主に郵便を届けるのが仕事だったのですが。そんな、職員室でも知る人ぞ知る存在の事務部です。これからもひっそりと仕事があり、ひっそりと任期が終わっていくことでしょう。
しかし、事務部には誇るべき部員がいます。このメンバーは他じゃちょっと集まりません。副部長、井上裕介。部員、煎田健詞・辻村大輔。彼らなくして96年度総務局事務部は語れません。
煎田健詞君とは幼稚園からのつきあいであります。そして彼は、春の千刈一泊役員会に事務部代表で出席した強者でもあります。彼の千刈での天晴豪傑ぶりはこれからも、学友会史に深く刻まれていくことでしょう。
辻村大輔考彼は今、何をしているでしょうか。たぶん今も普通じゃないでしょう。ノーマルな生き方はしていないでしょう。そう、彼は超重要行事である学友会総会においてイス並べ&かたずけという大仕事をこなしてくれました。彼はあの総会を成功に導いた一人なのであります。
そして本年度、事務部極秘フロッピーを製作しました。極秘なので言えませんが、過去に高等部と交流のあった学校・団体の住所・TEL・FAX番号を網羅している一品であります。それを手がけた副部長・井上裕介君。ひとり学友会室にこもって連日連夜の作美だ
ったと聞きます。このフロッピーを駆使して他校との交流をより一層深めてくれればと思います。
正直いって、来年、事務部が存在するかわかりませんが、事務部のひとは事務部にとどまることなく、幅広く活躍して下さい。

管理部長 束村 純

管理部は、それまでの図書部・食堂部・風紀部・保健部の役割を担うもので、初めて設置された機関なので自分で仕事を見つけるところから始まりました。私は陸上部に所属しマネージャーの仕事もしていたので、積極的に活動することができませんでした。
管理部の活動は図書館が中心でした。一番問題だったのは、本や雑誌を貸出手続しないで持ち出すということで、一年間で百数十万円の被害がでています。また、夏、冬二回教室や部室に放置きれている図書の点検を行いました。これから管理部の仕事をする人には食堂に関する問題点(マナーなど)も取り上げていってほしいと思います。
協力してくれた副部長の徳永君、部員の辻田君・宮脇君には感謝しています。枝川先生にはクラブでも学友会でも大変お世話になりました。本当にありがとうございました。

企画部長 井上 幸治

企画部メンバーの四人の最初の仕事は、新入生歓迎会でした。どんなことをしようかといろいろ考えたあげく、○×クイズに決めました(他にも、うでずもう大会や紙ヒコーキ大会など、たくさん案があがっていた)。音響も加えて盛り上げようとしました。企画らしい企画は、新入生歓迎会と文化祭のちょっとした企画だけで、あとは、学友会全体の仕事の手伝いをしました。一つだけ残念なのは、学友会本部に依頼きれた企画しかできなかったということです。メンバー四人は、毎週一回会議を開いて、考えたりもしてみたけれど、結局できませんでした。
最後に、副部長の佐藤君、部月の山崎君・林君、一年間ありがとうございました。

広報部長 山口 典彦

広報部としましては、まっぼく個人としましては、身内の業績をひけらかすのはあまり好まないのですが、いちおうやった順にならべてみます。
目安箱の作成
子供会関係の掲示
KNAへ参加
関々戦関係の掲示
文化祭
と、あまり活動していません。本当は、掲示板を無国籍化し、右翼左翼イスラム原理主義などいろいろな主張をとり入れ、学校を活性化させたかったのですが、力及ばず。またインターネット等を使い、世界に高等部を宣伝したかったのですが、これも力及ばす。
どうか後輩の広報部の人たちは、ぼくらができなかったことをして下さい。たとえ本部がムカついても、アホの集まりでもめげずにやって下さいね。

文化祭執行委員長  田中将太郎

六月に入ってから、第一回の執行委員会が開かれた。その時、学友会の決めた今年の文化祭のテーマは〝芸術″であったが、抽象的すぎるという指摘もあり、テーマ・スローガン共に再考することとなった。三回の会議に渡って話し合った結果、森山会長の提案で今年のテーマは〝自己表現″スローガンを〝自分という名の最高傑作″と決まった。今年の文化祭は、このようにこの機会を通じて自分の個性をアピールしようというものだったが、一年生がクラス展だったり大人数のサークルもあったために、協調性を大切にする人々等からは、厳しい批判もあった。
会議では様々な事が話し合われたが、今年一番の争点は、〝吉本の芸人を呼ぼう″という企画であろう。中庭ステージ担当によって持ち出されたものであるが、メリット、デメリット、予算面、安全面などで実に約一ケ月に渡って話し合われた。当初は〝中川家″を呼ぶ子走が、いつの間にか〝コッキー″に変わっていた。
また、企画の面で今回の新しい試みは〝パビリオン化〟である。食品サークルを最上階に設置するという小林一三の〝阪急デパート方式″を採用し、各団体の入口、廊下に装飾を行うというものであった。その目的には、サークルの入りやすさは出入ロで決まるが、内装に凝ると出入口の装飾がおろそかになるので手伝うといったものや、運動部の試合で抜ける人々にも文化祭に参加してもらおうといったものもある。当初は、その階ごとにテーマを決めて統一した装飾を行い、雰囲気から盛り上げようという目的で提案きれたものの、〝自己表現〟がテーマである中では、生かせないだろうという事で、各団体での装飾となった。これはスタッフや団体のヤル気次第で非常に素晴らしいものが出来る企画であると思った。そして、当日に設置した食品団体のパビリオンの一つ〝ショーウインドー″は特に効果を上げたと思う。
二学期に入ると、二年生の石田、久志、滝本が執行委員会に加わった。彼らは三年生に混じって良く働いてくれたので来年の心配は無用だと思った。その他の執行委員、スタッフ責任者も懸命に文化祭に取り組んでくれたので非常に感謝すると共に、嬉しい気持ちでいっぱいだった。これらの人々に支えられ、文化祭を持つことができたのである。本当にどうやって言葉に表わして良いか分からない。特に森山が意外と和を強調する奴で皆をうまく取り纏めてくれた。彼の機転に幾度となく救われた。自分の方が影薄かったかも……。
そして当日、全校生徒の〝最高傑作″である文化祭は予想以上に素晴らしいものであったことは言うまでもない。文化祭はやはり全校生徒や先生方、関わったすべての人々によって支えられているものだと実感した。この文化祭の功績は他の誰のものでもなく、あなたのものである。感動も充実も、悔いも恥も皆あなたの〝最高傑作″に対する評価なのだ。

クラス委員長 桝井 康寛

クラス委員会の進歩

最初、右も左もわからないぼくの一番最初の仕事はリーダー研修会でした。中には反発
も少なくはなかった。しかしそんな中で、各個人の努力によって成功することができた。今思えば、この一泊のリーダー研修会がこの一年をまとめるにあたって大変重要な役割を果たしたように思える。
そして総会。はっきり言ってクラス委員会の最大行事と言っても過言ではない。例年通り「水着の自由化」などが出る中で、うれしかったのは一年生からの議題が多かったことだ。それに刺激されてか三年生が活発になってきた。
しかし文化祭、一年生は別として二・三年生はクラスとしての動きが難しい。その中でホームルームでエイズについて勉強した。ほとんどの生徒が真剣にビデオを見てくれたのがうれしく、成功ではなかったかと思う。
全体を通して、今年は三年生の質の高さ、出席率の良きがクラス委員会を活発にしたと思う。また三年の学年クラス委員会は後輩に何かを残そうということで校内はもちろん校外でもアンケートをとりコミティーの存在意義についての資料も作成した。津先生も積極的に協力して下さり忙しい中ぼく達をサポートして下さったことは本当に大変感謝しています。まだ自分が委員長としてクラス委員会に対して積み上げたものはほんの一段、全体から見れば本当に微々たるものです。しかし、これが積み重なってクラス委員会が向上していくことを心から願ってます。最後になりましたが、津先生、福嶋先生、尾城先生そして顧問ではなかったですけども、いろいろとお世話になった枝川先生、本当にありがとうございました。

美化委員長 松崎 博信

僕の美化委員長としての年間を通じての目標は、美化委員会の充実であった。考えてみると美化委員の出席率が良くなって僕としては意味のある美化委員会ができたと思っている。また、ほうきははきやすいT字ほうきにすべて統一し、みんなのそうじに対する意識を深めてもらおうと思った。このこともあってか少しずつだが学校もきれいになってきたように感じている。
もう一つの僕の目標として何か、何でもいいから伝統になっていくような行事をつくりたいと思っていた。僕はたまたま、「割り箸リサイクル」というものに出合えた。そして今実行することができている。まだ小さい小さい行事ではあるが、大切なことには違いないと思っている。今は小さくてもいずれは多くの人に知ってもらいたいとも思っている。 とにかく、安定してきた美化委月会をこわさないように、次の美化委員長にはがんばってもらいたいとつくづく思う。

礼拝委員長 田中将太郎

礼拝委員会では月に二回の定例会を開き、各礼拝行事の手伝い等を行ってきたが、今年度は各学年の礼拝委員会の活動が活発で、それぞれ学年礼拝等を盛り上げていた。そして、それによって支えられていたとも言える。
私がやりたい事は二つあった。現在厳かに行われている感のある早朝礼拝の活性化と、委員会による奉仕活動である。しかし、石森先生との相談の機会があまり持てなかったため、また定例会の出席率が良くなかった(学年を増すごとに)ため、実現し得なかった。 これからの委員会を活性化させる要点は、はっきりとした役割、特に定期的持ち回り職務の確立と、様々なイベントを取り入れ、執行する積極性であろう。また、早朝礼拝はより多くの人々に参加してもらいたい。いや、それよりも礼拝活動そのものへの意識が低くなりつつある事が問題なのであるが……。
最後に、委員会を支えてくれた礼拝委員の皆と、顧問・石森先生と、石橋先生に感謝したい。

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