更新:2015年10月17日
地歴部
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  • 地理、歴史に関する研究活動、展示を実施
  • 毎年、部誌「甲山」を発行していた

地歴部の思い出 中学部教諭(1994年高等部卒業)河野隆一

 高等部への進学は、自分を変える大きなチャンス。今でも私はそう思っています。
 中学校ではバスケットボール部に所属していましたが、高等部では地歴部に入部しました。中学生になり、身体を動かすことや容姿など、見栄えがいいことばかりを追い求めていました。中学三年生ごろから、何をやっても評価されないと感じていた苛立ちもあいまって、センスだとか、教養だとか、無形のものに興味が移行していきました。当時、唯一歴史という分野においては、主観的にも客観的にも評価できました。地歴部への入部はそんなところに端を発します。
 入部を決心していたものの、まだ個がふらふらしている年頃。一人だけで行動を起こすには勇気が入りました。そこで、同じようなことを考えていた同志に声を掛けました。結果、同級生十数人とともに入部。ちなみに、当時の地歴部は三年生が五人、二年生は○でした。
 三年生の先輩がとても魅力的でした。司馬遼太郎をすべて読破していた先輩。白文で漢文を読みこなしていた先輩。十字軍のことなら何でも知っていた先輩。偏った知識を有していただけでなく、教養溢れる先輩たちでした。
 とくに定められた活動はありません。部室でダベったり、半ば遊びのスポーツをしたり、敢えて言えばともに同じ空間で話すことが活動でした。いわば「サロン」でした。そんな活動も、夏休み前くらいから具現化していきました。文化祭展示の準備や部報「甲山」の編集です。レタリングの技術、文章の書き方、ものごとの調べ方、模型の作り方、いろんな表現方法や技術を先輩から学びました。顧問の志賀大郎先生からは、それらを補完する知見や情熱によって示唆をいただきました。
 一年生時は、副顧問の丹羽時彦先生のすすめもあって、旧西国街道について調べました。旧西国街道は古代からの歴史ある街道です。京都と西宮を結んでいます。今の国道一七一号線とほぼ同じ位置を走っていました。夏休み、旧西国街道を「関西学院高等部地歴部」と書いたのぼりを立てたリアカーを引いて実際に歩きました。京都府大山崎町から西宮市までを一泊二日で踏破しました。途中の箕面にある寺院で宿泊したこと、帰宅するとソビエト連邦でクーデターが起きていたことを今でも覚えています。
 二年生時は、部長として「三国志」をテーマに設定しました。ゲームなどによる「三国志」ブームに乗じた短絡的な発想でした。『関西学院高中部百年史』には、かつての先輩が「三国志」に魅せられ、舞台である中国まで旅行したことが載っています。後日そのことを知り、安易な考えを改めて活動に邁進したことを思い出します。
 三年生時のテーマは「関ヶ原」でした。生徒会で諸役を担うことになったため、集団での部活動からは離れました。その分、読書科における論文作成など、個人の調査で部活動に協力しました。その過程で出会った藤井治左衛門(編)『関ヶ原合戦史料集』(新人物往来社)により原史料の迫力を知りました。副顧問だった梅原隆治先生からは、地理的に見た関ヶ原についてのヒントをいただきました。
 今から思えば、いずれも稚拙な活動内容です。しかし、これらの活動により知識・教養がつきました。知的好奇心が満たされました。社会に受け入れられる展示の技法が学べました。そして何より、その後のきっかけをつくりました。
 「関ヶ原」を調べたことにより、大学・大学院では関ヶ原の戦いと同時代である近世の歴史を研究することとなりました。旧西国街道を調べたことにより、近世でもとくに交通史・流通史を研究することとなりました。大学・大学院での研究活動が、今の教師生活の中で大きな力となっているのは言うまでもありません。若い頃はどうしてもわかりやすい価値観に惹きつけられてしまいます。だからこそ、意識的にわかりにくい価値観に目を向けていかなければなりません。一人ひとりに合った価値観を見つけるためにも。(K.G.H.REVIEW第26号より)

1999年度

  • 地歴部と鉄道研究部が合併し社会部となる

1994年度

 94年度の活動内容は次の通りです。

  1. 文化交流会への参加
  2. 文化祭での縄文展

文化祭での発表も大成功に終わりました。(マスタリー第17号p154より・文責:柴田貴司)

1993年度

 今年の地歴部は三年生十一人、二年生一人、と文化部内に於いては多勢でスタートした。地歴部では毎年テーマを決めて研究に取り組んでいるが、今年はテーマを「関ヶ原」と決めた。さらにテーマである「関ヶ原」を「一六〇〇年関ヶ原の戦い」、「関所と関ヶ原」、「現在の関ヶ原」と細分化し、グループごとに研究を重ねた。また、一年の時から続けて調べている「西国街道」の研究にも取り組んだ。春に有能な二年生三人が入部したため、活動に拍車がかかり、冬休み、夏休みには実際に関ヶ原へ行ったりもした。
 文化祭では保健講義室を使い、展示を行った。関ヶ原合戦模型や不破の開模型をはじめ、視聴覚に訴える展示は来訪者の心をつかんだと思う。また恒例の部報「甲山第二十七号、第二十八号」も、当日無料配布し好評を得ていた。結果として約六百人が訪れ、銀賞をとることができた。三年生にとっては有終の美を飾ることが出来たと自負している。
 来年は四人だけと数では淋しくなるが、少数精鋭なので是非、ご期待いただきたい。
 最後に顧問の梅原先生、ご助力を賜った志賀先生にこの場を借りて感謝の意を表したい。(マスタリー第16号p332より・文責:河野隆一)

1992年度

 今年の地歴部は三年生不在の部員十二人でスタートした。そして今年のテーマは「三国志」「水滸伝」「西国街道」とした。模型の破損や原稿の紛失などで活動は困難を極めたがなんとか乗り切って文化祭をむかえた。
 文化祭では、社会科教室を使い、「三国志展」では模型4点を展示し魏の盛衰を再現、
「水滸伝展」では模造紙で説明、「西国街道展」では模型3点を展示した。今年はパソコン展示、ビデオ「諸葛孔明」の上映と例年とはひと昧違った展示を披露したつもりである。しかし伝統は伝統として毎年恒例の部報「甲山」は絶やさず、十二月初旬発刊予定である。結果として文化祭の展示には七百人もの人々が訪れて下さった。賞こそとれなかったが、精一杯やったつもりである。
 来年も今年と気が合う同じメンバーなので、今年よりグレードアップした展示が来年行われると期待していただきたい。
 最後に、いつも我らを気遣っていただき今年御退職なさる顧問の志賀先生、また陰ながら我が部を見守っていただいた顧問の丹羽先生に、この場を借りて感謝の意を表したい。(マスタリー第15号p198より・文責:河野隆一)

1991年度

 今年の地歴部は四月にスタートした時は三年生部員五人だけであったのが、まもなく一年生が十人近く入部し、文化祭時にはのべニ十人位のメンバーで活動することとなった。今年のテーマは「源義経」と「アラブから見た十字軍」、さらに新顧問の丹羽先生の提唱で一年生主体の「西国街道」とした。しかし、部屋がせまい、一年生が思うように動いてくれない、などの困難の上、所属しているが活動に来ないだけでなく、時々部員を自分の仕事に従事させる奴などもおり、活動は難航した。だが、そこは地歴部、経験と財力と人海戦術で乗り切った。そして、文化祭に向けてそれぞれのテーマで作業を進めた。
 文化祭では、普通教室二つを使い、源義経展(模型七点)では源義経の一生を再現し、西国街道展も小規模ながらよくまとまった。十字軍展ではひたすら模造紙で説明をした。また、休けい室をもうけ、お茶の無料サービスやユニセフ募金も行なった。毎年恒例の部報「甲山」も発行した。
 その成果として二教室使ったにもかかわらず九百人もの人が訪れてくれた。ただ、中学部・高等部の先生方があまり来てくれなかったのが心残りではある。賞は部長賞のみで、かなり不満であるが、銀賞のところなどに比べて全体的なインパクトが弱かったのは否定できない。
 来年は三年生の部月がいなくなるのでかなり不安材料があるが、まだ志賀先生もご健在でいらっしゃるし、丹羽先生もやる気満々なので、他の部に負けぬようにやってほしい。
 最後に、一年間お世話になった顧問の志賀先生と丹羽先生に感謝の意を表したい。(マスタリー第14号p159より・文責:池島勝幸)

1990年度


1989年度


1988年度

  • 文化祭展示「三国志」に対し金賞・部長賞・ポスター賞の三賞が贈られる


1981年度

  • 岡山県の高梁川流域の歴史・産業・交通等について研究と現地調査を行い、文化祭で展示。

1979年度

  • 近世の西宮について研究と現地調査を行い、文化祭で展示。

1966年度

  • 西宮市の北口商店街の都市調査
  • 佐賀県多久市の炭鉱調査

1964年度

  • 能登半島、七尾湾、能登島についての研究調査、模型製作、民話の蒐集

1963年度

  • 芦屋女子学園高等部社会化研究部との交歓活動
  • 天橋立の模型製作
  • 鳥取県で「たたら」の研究調査
  • 機関誌「甲山」15号を発行。テーマはヨーロッパ共同体(EEC)